突然かつ急激に訪れた女性としての成長に心の成長が追い付かず、女性であることへ否定的な考えを小学校4年生過ぎの筆者は持っていました。
今となってはアロマンティック・アセクシャルを自認していますが、その当時から心も体も女性ということへの違和感はありません。
しかし、自身が女性であることへ疑問はなくとも、大いに不満があった小学校高学年の頃の筆者。
二次性徴がセクシャリティーに影響を与えるのかどうか、与えるならどのような影響があるのか?また、そもそも影響は与えないものなのか、筆者は専門家ではありませんので分かりません。
筆者が小学生の頃はLGBTQIA+という言葉は勿論、LGBTという言葉すらない(はず)時代でしたので、


小学4年生の筆者が自身のセクシャリティーについて考えることはしませんでしたし、考えるという発想にすら至りません。
そんな世の中の状態で、筆者は女性であることへの嫌悪感(心と体の性別があっていないという意味ではなく)から、どんどん女性らしさから離れていこうとしていました。
女の子らしさから遠ざかる筆者




幼稚園から小学校3年生くらいまでは、THE・女の子らしいものを好んでいました。
女性という生き物へ否定的な気持ちが芽生える前は、持ち物・着る服・好きな色・漫画やアニメ、本当に女の子女の子していました。
家族からしても、筆者は女の子でしたので違和感はなかったと思います。


ところが急な180度方針転換が予告もなく行われました。
女の子らしいと思って避けていたこと
女性として成長した間もなくの話。方針の変更が行われる前と行われた後は、こんな感じです。
[Before]
- スカートしかはかない (可愛いでしょ?)
- 髪は色々アレンジしておしゃれできるようにロング (その方が可愛いでしょ?)
- 服は色々な色の服をたくさん着たい (その日の気分で選ぶのが楽しい)
- 家族と可愛い服を見るのが大好き (可愛い服でおしゃれしたい)
- 話し方は漫画やアニメの推しも参考に (可愛い理想の女の子に近づきたい)
- 他の女の子の流行りが知りたい (もっと可愛くなれるかも)
[After]
- スカートははかない (スカートは女性を象徴しているものだから)
- 髪はショートカット (ロングは女性であることを強調するから)
- 服は黒・紺色 (色鮮やかな服は女性が着るものだから)
- できたら、男の子コーナーの服が欲しい
- 話し方は男の子のようにしたわけではないが、女の子っぽい言い方は避けた
- と言いつつ、遊ぶ相手は基本女の子
- と言いつつ、男の子が好きそうなものを選んで好きといっていたかな
小学校4年生の筆者は、自身が思う女性像・女性らしさから、一気に離れます。
家族は少なからず驚いたようです。今まで女の子っぽいものが好きだったのに、180度の方向転換です。
男の子が好きなもの:某カードゲーム漫画
女の子から遠ざかるためには、男の子が好むようなものを積極的にやってみようキャンペーンを小学生の筆者は開催しました。
この頃流行っていた(はず)ものは、週間少年誌のでアニメにもなったカードゲームと黄色の電気鼠と少年の冒険を描いたゲーム/アニメでした。
まず子供時代に「男の子の間」で流行っていたものは「某カードゲーム漫画とそのカード」ですが、
いかにも男の子が好きそうで、実際流行っている。興味ないけど、好きと言っておきましょう。


興味ないけど、母よ、カードを買ってくれ。
本心は全く興味ないので、きれいにファイリング、数年前に売却しましたが、提示された金額を見て大人の筆者は笑いが止まりませんでした。
男の子が好きなもの:電気鼠が登場するゲーム/アニメ
子供時代に「男の子の間」で流行っていたものの2つ目は「電気鼠が登場するゲーム/アニメ」です。


今でも電気鼠が出てくるゲームは好きです。実写で映画化されて話題にもなりましたね。筆者は一人で映画館へ、日曜の夕方に見に行きました・・・
こちらについては興味はありました。可愛いキャラ、筆者が好きなもこもこ・まんまる系のキャラもいます。
しかし、その当時の筆者は決して、まんまる系のかわいいタイプの登場キャラクターは選びません。
竜とか男の子が好きと言いそうな、かっこいい・強いタイプのキャラクターが好きと言っていました。
筆者が男の子に向ける感情


はたから見たら中途半端ですが、本人としては出来る限り男の子男の子してしたつもちです。
服装や流行りなど、男の子が好きそうなものを一通り触ってみます。


しかし、嫌いではなくとも自身の時間をかけられるほど好きではないものを、好きになるのは難しいことでした。
心も体も女性であることに違和感はなく、体の性もこころの性も一致している状態のため、男の子っぽくしたいと思っても、男の子にはなりきれません。
特にカードゲームの方は集めるだけ集めて、なんとなくキャラクターの名前知っていますよーくらいの知識しかないので、詳しく話だされるとついていくことはできず、焦っていました。
筆者にとって男の子は恋愛対象ではない
女性でありながら、女性という存在へ否定的な立場を当時とっていましたが、それでは男の子に対してはどのような認識を持っていたのでしょうか。
羨望なのか?同調なのか?同化なのか?
前回の記事では「男の子になれたら・・・」「男の子だったら許されること、出来ることの方が多く、かつ魅力的に思えて、男の子がとても羨ましく見えた」と書き、
今回の記事では「体も心も女性であることへ疑問を持っていなかったので、男の子っぽく振る舞えども、とても中途半端な浅いものだった」と書きました。
羨望も同調も同化も図ったのですが、結局のところ筆者は女性だったのです。
男の子という存在を自身に反映させようとした結果は「男にモテたいのか男子寄りの言動をする、女」「男っぽいものが好きなのかもしれないけど、なりきれない女」が完成しただけです。
そして、すぐ横に座っている男の子、クラスメートとの男の子たちに対して、男性であり、異性であり、他者である男性に対して筆者がどのような感情を抱いていたかと言うと・・・
- 男の子は同等の存在で、友人である。また、女性ということが原因で負けたくない対象である。
- そして友人として対等でありたいと思っていた為、恋愛対象として認識することは考えられない。
どこまで行っても、男子は負けたくないライバル?敵?です。頼られるのは良いけど、頼ったりしてはいけない存在。
万が一、助けてもらったりなんかして、助かった・・・なんて思ったら、自分のプライドが音を立てて折れます。
敵とすら認識しがちな男の子に対して、そもそも好きって何?どんな感情?と疑問しか抱えていない筆者が恋愛感情を抱くなんて、できない相談でした。


今も昔もこれからも恋愛対象として他者を見る/見られることなないでしょう。
どうやったら男の子を好きになれるの?


男の子っぽくしていたからと言って、女の子の友人と疎遠になっていたわけではありません。
女の子とのつながりも大事でしたので、女の子同士の恋愛トークや雑談にも参加はしておりました。
女の子は同調が大事、意見は求められていない、聞いてあげるのが大事。
特に恋愛話は何言っているかあまり理解できないけど。。。察する力、目覚めよ!!
大人の筆者としては、人それぞれだとは分かっているのですが、本当に女の子は恋愛に関するトークが大好きですね。
皆が皆そうではないのは承知していても、小学・中学・高校・大学・大学院・社会人と過ごしてきて、恋愛話が始まったら、話が止まらないことも多くありました。
いくつになっても、恋愛話が好きだったり、話したい・聞きたい人は当たり前ですがいるものです。
筆者はノリが悪いんじゃない?言われない程度に参加していましたが、これについて疑問は募るばかり。


みんなそんなに好きな子いるの?なんでそんな簡単に人を好きになれるの?なんでその子、好きになったの?
運動神経が良いから?頭が良いから?顔が良いから?優しいから?だから、あなたはあの子のことが好きになったの?気になっているの?一緒にいたいと思っているの?
皆さんが好きになったと言うポイントは筆者にとって・・・
- 運動神経が良い→羨ましい。私もそうでありたい。
- 頭が良い→羨ましい。私もそうでありたい。
- 顔が良い→おモテになる要素があることは理解できる。私だって綺麗な顔と言われたい。
- 優しい→人に対して優しくあれることは良いことだ。私もそうであれれば良い。
優れていることに対して筆者が抱く感情としては、相手・異性への恋愛的な関心ではなく、自身もそうなりたい・そうであれたら良い、という思い、になります。
相手へ向かう気持ちではなく、自身へ向かう気持ちとなり、その心の持ちようは周囲の女子と比較して真逆でした。


なんで好きと直結するの!?私には理解も共感もできない。みんな凄いね・・・好きになる力を持ち合わせていて、羨ましい。
まとめ
女の子っぽさを捨てられるだけ捨てて、男の子っぽさを前面に出していた、小学校高学年の筆者。
無理矢理、男の子が好みそうなものを好むようにすることも多々ありました。


手を出したものの好きになりきれず、話ふらないでほしいなーと思ったことも少なくはありません。
当時の筆者にとって男の子はライバル/敵のようなものであり、恋愛感情が向けられる存在でもありませんでした。
筆者は「恋愛感情を向ける存在ではない」そんな状態でしたが、他の女の子の友人たちはそのようではないようです。
かっこいい、運動ができる等、(言い方が雑ですが)なんか簡単に男子を好きになっている様子です。


え?逆に悔しくないの?自分もそうであれたらなあ・・・なんて思わないの?
なぜそれが好きという気持ちに変換されるのか、全く仕組みが理解/共感できず、差し障りのない言葉を返しつつ、好きになることの意味が分からず、心は僅かながらも曇っていました。