異性の親を失う事 – アロマンティック・アセクシャルとの関係性

異性の親を失う事 - アロマンティック・アセクシャルとの関係性 小学4年~6年 (第二次性徴)
筆者
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幼稚園の頃から小学生高学年に至るまで、大変ありがたいことに何の不自由なく過ごすことができた筆者。

幼稚園から小学校2-3年生にかけては、自分大好きの自己中心的なお子様。

そして、薄っすらとですが「人を好きになる/ならない/なれない」について疑問を覚えた、あの日。

小学校4年生以降は、自己中さも少しは落ち着きました・・・が、女性としての成長が前触れなく訪れ、女性に対して否定的な考えを抱くように。

女の子らしさから離れようとした、思春期真っ盛りの筆者。

そんな筆者も小学校6年生、そろそろ卒業の時期が見えて参りました。

小学生の私には中学生が大変大人に見えており、少々お姉さんになれるとワクワクです。

筆者
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小学生から見たら、中学生は大人に見えますね。今の筆者の年齢からみると・・・

突然、父が筆者の生活から消える

父との別れ

平々凡々・自由気ままに生きていた筆者ですが、誰一人予期しなかった・できなかった突然の別れが訪れました。

小学校6年の時、父が亡くなりました。

朝、行ってきますと会社へ向かった父の後ろ姿が、母や祖父母が見た、生きている父の最後の姿だったようです。

筆者
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・・・私は絶賛睡眠中だったのか、最後見た父がいつの父か覚えておりません。すまん、父よ。

祖父・祖母・母・私の4人暮らしに突然なりました。

子供のころに親が亡くなるのは悲しいことですが、幼くして親を亡くすこと、そこまで珍しいことではありません。

比べるものではありませんが、世の中にはもっと過酷な現実と向き合わざるを得ない子供は、たくさんいると思います。

父親なしで大人になる必要がある

筆者は比較的人生の早い段階で父を亡くしましたが、幸いなことに、母の実の父母と一緒に住んでいました。

生活に悩んで路頭に迷うこともなければ、非常に幸せなことに生活レべルが下がることもありませんでした。

筆者
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最大級のありがとうは、筆者が父がいないからといって・・・

  • 何一つ不自由な思いを子供の筆者にさせなかったこと
  • 子供の筆者の心にも十分栄養を与えてくれたこと(道から逸れることはありませんでした)
  • 寂しいと感じる以上に祖父母(母も)が大事にしてくれたこと
筆者
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祖父母には今も感謝しています。毎日お仏壇にお水、ご飯やらおいていますよ~今日も良い湯気と香りのご飯をお供えします~

筆者は恵まれたと思っております。

これはどう捉えたら良いか今でも悩みますが、正直、父がいなくなったことについて、

そこまで寂しくも、つらくもなかったのが正直な筆者の感想です。

筆者
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友人の家庭と比べて、あぁ、そう言えば父親いないわ。と気付かされる瞬間もありましましたが、大したものではありません。

父がいない劣等感や寂しさを感じる瞬間が少なく、生活できたのは良いことなのでしょうが、

もしかしたら「父がいないこと」は、筆者の考え方・感じ方に影響があったのでは?と思うことがあります。

成長期の人格形成における父親の役割

不自由なく生活できたこと、とても大事に育ててくれたことは紛れもない事実ですが、

素人ながら人格形成に「異性の親」というの存在は大事なのであろうと察します。

好き・嫌い・気持ち悪い・好きか嫌いわからない等、娘から父へ向けられる感情は、特に思春期においては、良いものばかりではないと思います。

  • 父との摩擦を経験して(摩擦なしの方もいるでしょう)「自分が女性」であることや「男性とはどういう生き物」なのか「男性の考え方や行動」を学んでいく。
  • そして男の子ではなく「男性という存在」に慣れていく・知っていく・知りたいと思っていく (あってますかね?)
筆者
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どうやら筆者はこの摩擦を経験しないまま(少ししたとしても永遠に未完のまま)、成長せざるを得なかったようです。

経験なし・していたとしても未完のまま、ということは異性である男性を認知すること、

違いを知ること、受け入れいること、このような面において、筆者はもしかしたら未熟なのかもしれません。

アロマンティック・アセクシャルとの因果関係

異性の親の役割

小学校6年生の自分について書いた、この記事の前には、幼稚園や小学校の頃の筆者の記事をいくつか書いています。

その中には「好きになること」「恋愛感情」について、子供ながらに違和感を抱いている記載があります。

筆者は、父が亡くなる以前に「好きになること」への疑問を明確なものではなくても、感じています。

好きという気持ち、恋愛感情がその時点においてもわからず、そして、その意味不明な感情を同級生の子に対して抱くこともない。

逆に、なぜ皆そんなに簡単に好きになれるのか?という疑問を父が亡くなる以前より、感じています。

筆者
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正直なところ、人格形成に異性の親も大事であろうと言いつつ、父がこのタイミングでなくなったことと、AroAceである自身に因果関係があるとは、あまり思っておりません。

精神的にタフになる必要はあった

幸福度は下がらなかったと言っても、ただ人並み以上に精神的にタフにならなければ、と子供ながらに感じました。

初めて見ました。泣き崩れる母、声を震わせる祖母。父を送る場で声を詰まらせながら挨拶をする祖父。

祖父が声を震わせ、いつもはビシッと伸ばしている背中を丸めて、下を向きながら「まだ12歳なんです」と言った姿は、まだ忘れられません。

筆者
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子供ながらに、迷惑をかけてはいけないと思いました。そして、自分が原因で家族を悲しませてもいけないと思いました。

父のことを受け入れられていない状態だとは思っていないのですが、

泣かない、騒がない、邪魔しない、努めて冷静に他者から見えるよう、立ち回りました。

我慢を強いられた結果であると言いたくないのですが、父のことがきっかけで、ある程度感情を抑える/制御する術を身に着けたような気もします。

異性の親とアロマンティック・アセクシャル

筆者
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父の年齢に筆者の年齢が近づいてくる。時の流れは恐ろしい。性別以外コピペと言われる。少し複雑な気分です。

話が逸れましたが・・・

筆者は父が亡くなる前からアロマンティック・アセクシャルであったと思っています。

もしくは「アロマンティック・アセクシャルとして生まれた」と言った方が適当かもしれません。

  • 1番近い異性がいなくなったのは、男性という存在がどのような存在なのか知れなかった、男性という存在が遠ざかってしまった可能性もあります。
  • しかし、この事実がアロマンティック・アセクシャルであることへ直結しているとは、際のところ思いません/思えません。

ただ、父との会話・摩擦・接触など、しっかりわからないまま、父は去ってしまいました。

本人としては、親戚も男の子が多く、男性という存在が遠ざかってしまったとは感じていないのですが、

やはり日々同じ家で暮らす男性がいなかったことは事実です。

祖父は男性ですが、おじじ様なので男性というには、少し違和感が・・・

やはり男性という存在」が薄い環境で育ってきたのかもしれません。

余談:父がからむ思い出たち

父のからむ思い出

父が去ってから年月も経っており、残念ながら、どんな声だったか・どんな顔だったか・どんな風に筆者へ話しかけてくれていたのか、思い出せないことの方が多くあります。

筆者
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と言っても、父の存在をしっかり覚えているエピソードはあります。

父との思い出①

不思議と覚えています。何と言っていたか、どんな顔をしていたかは思い出せませんが、

大きい地震が来た時、父が覆いかぶさるように、しっかり筆者を抱きしめて守ってくれたことは、今でも覚えています。

父に抱きつくことが恥ずかしいという気持ちも起きないくらい大きな地震でしたので、無我夢中で父にしがみ付いた記憶も残っています。

父の思い出がぽろぽろ、おセンチメンタルになったとき、ふと思い出しました。

筆者
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・・・年を取ったものです。

父がからむ思い出②

差別の意図は一切なく、ただ「家族のみんな!筆者はまっすぐ育っているよ!誇ってねー」と思っただけの話です。

小学生ではなく、中学校3年生の頃の話です。

高校進学について母を交えて面談を行った際、先生が「お父さんは進学先について、どのようにお考えなの?」と質問されました。

「父は亡くなっており、おりません。」と筆者回答。先生、驚かれていました。

筆者
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「どや!見てみぃ、母ちゃん!先生、驚いてはるわ!勝ったで!」と思った筆者です。

この流れだけでは意味不明かと思いますので、少々中学の説明を。

筆者のいた中学ですが、少し荒れていました。時代のせいか筆者の中学では、問題行動を起こす児童は、その見た目でわかりました。

わかりやすい要素で見た目の他に家庭環境がありました。

知っている限りは、その子達はお父さんかお母さん、どちらかのご家庭で育っているか、おじいさん・おばあさんと暮しているようでした。

筆者も父はおりません、そのような家庭で育っている子が全て些か賑やかな子に育つとは決して言いません。
筆者の中学ではそんな家庭環境の子が多かったようだ、というだけのお話です。

筆者の環境は、お父さんかお母さん、どちらかの家庭という点で同じですが、

担任の先生には、さぞかし筆者が一般的な全員揃っている無難な家庭の子供に見えたのだなと、当時感じました。

筆者
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中学生の筆者には先生が「え?お母さん一人なのに、他の子と違って問題起こしてないよね」と言っているように聞こえたのです。

本当に先生がこんな風に思っていたら、シングルの家庭を斜めから見ていると問題かもしれませんが、単純に驚いただけかもしれません。

でも、筆者の家族の子育ては、父がいなくともしっかりできている!引け目を感じることは一切ない!と思っただけの、取るに足らない自己満足思い出話です。

まとめ

変わったお子様だったとか、女性という存在を否定しがちとか、女の子らしさから遠ざかるとか、全て一気に吹き飛ばしてしまった、さらばだ父。

自分のことより、家族に迷惑をかけないようにするには、変わったお子様ではなく、普通のお子様に速やかになることが急務でした。

筆者
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父がいなくなった事は、男性という存在が疎遠になってしまった、受け入れ方が徐々にわからなくなっていったことに、つながるのかもしれません。

筆者
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かと言って、受け入れ方がわからずとも良いパートナーと巡り合えたら、徐々に受け入れていけるのかとも思います。

  • 筆者の気持ち・認識で語るなら、アロマンティック・アセクシャルとして生まれ、生まれながらに持っている気質に、父がいなくなったことが磨きをかけた。
  • 異性の親がいないことと、アロマンティック・アセクシャルに直接の原因はないと思っています。

冒頭の方でこんな風に書きました「子供のころに親が亡くなるのは悲しいことですが、そこまで珍しいことではありません」。

アロマンティック・アセクシャルは少数派の中でも人数の比率が低めです。

(単純に人数として本当に少ないのか、自認しにくいセクシャリティーのためか、詳細はわかりません)

もし、異性の親がいないことと、アロマンティック・アセクシャルであることに因果関係があると言うのであれば・・・

筆者
筆者

世の中もっとアロマンティック・アセクシャルが多く存在しているはずですね

アロマンティック・アセクシャルは少数派であるはずなのに、と話がかみ合わなくなってしまいます。

そもそも、異性の親がいない方は皆アロマンティック・アセクシャル?なんて、とんでもない話になってしまいます。

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