こちらの記事には「要点」をまとめた記事が別にあります。要点のみをご覧になりたい方は、こちらからご覧いただけます。


記事の冒頭から申し訳ありませんが、ご注意いただきたことがあります。
いきなり注意から入りましたが、今回の記事は特に筆者の主観がふんだんに含まれていますので、念のため。
いちアロマンティック・アセクシャルの感覚ですが、こんな方々への情報提供・共有となったらと思います。
- スキンシップが苦手と悩んでいる方
- 大事な方やお知り合いがスキンシップが苦手だと悩んでいる方


それでは本題に入ってまいりましょう。
筆者はスキンシップが苦手なAroAce
筆者はアロマンティック・アセクシャル (=Aromantice Asexual =AroAce)で、身体接触が苦手・スキンシップが苦手です。
とても主観的ですが、苦手の程度は他の人(アロマンティック・アセクシャル関係なく)と比べても、苦手な方だと思っています。


スキンシップについて筆者が思うことと、スキンシップが苦手になったかもしれない経験は、別に書いています。
中学生 (男子への嫌悪感)では、中学校の頃に体験した男性生徒との摩擦をまとめています。
(摩擦と思っているのは恐らく筆者だけなので、今思い出しても腹立たしくなります)
いずれにしても「スキンシップが苦手な筆者ができあがった」原因は「多感な時期に、男子生徒に対して抱いた精神的・身体的な嫌悪感」のみではない、と思っています。
思っていますが、原因の一端にはなったと、今でも変わらずに思っております。


ささやかでもお礼がしたい。お礼を言いたい。
話を戻しまして・・・「アロマンティック・アセクシャル – 愛情とスキンシップについて」の記事内で、
簡単にですが「スキンシップの対象によって、スキンシップの許容範囲は異なる」と書いています。
本記事では、筆者のスキンシップの許容範囲を詳しく説明するために、スキンシップをする/してくる対象を設定したいと思います。
- 友人 (筆者と同性である女性を想定しています)
- 会社関係 (同僚や仕事上でお付き合いのある方)
- 彼氏
- 親
このような関係性の方に対して筆者が「許容できる」スキンシップや「我慢しなければならない」スキンシップを説明していきます。


スキンシップと言っても色々ありますので、スキンシップの内容も設定したいと思います。
- 「友人」「会社関係」「彼氏」「親」と、握手はできるの?どう感じるの?
- 「友人」「会社関係」「彼氏」「親」と、手は繋げるの?どう感じるの?
- 「友人」「会社関係」「彼氏」「親」に、何気なく触られるのは良いの?どう感じるの?
- 「友人」「会社関係」「彼氏」「親」に、ハグはできるの?どう感じるの?
人によっては「握手」と「手を繫ぐ」って、分けるほど違うかね?と思われる方もいると思いますが・・・


分けて書こうと思うほどには、筆者にとっては全く異なるものです。
できるスキンシップ・できないスキンシップ


されても何とも思わないスキンシップと身の毛がよだつようなスキンシップは、個人個人で全く異なるものです。
AさんはOKでもBさんは嫌と感じるスキンシップ、Cさんからされたら嫌だけど、Dさんからされたら大丈夫なスキンシップ、はたから見たらワガママに見えるでしょうが、仕方ないことです。


アロマンティック・アセクシャル関係なく、スキンシップの得手不得手は人それぞれです。
スキンシップの得手不得手は誰にでも起きることであり、スキンシップが苦手であること=アロマンティック・アセクシャルに直結するものではありません。
では、なぜアロマンティック・アセクシャルの筆者がわざわざスキンシップが苦手ですと、文章にするか言うと・・・
- 恐らく「筆者が許容できるスキンシップの範囲が人より狭く」かつ「筆者がスキンシップを許せない相手が多くの方と異なるから」。
- 「アセクシャルであること」が「スキンシップが苦手」と関連していそうだから。
「スキンシップを許せない相手」とは?そして「それが、なぜ多く人と異なる」のか?
筆者の場合、仲の良い友人やお付き合いした男性、つまり自身にとって「距離を許せる、近しいはずの人」からのスキンシップに対しても、嫌悪感が発生します。


彼氏に嫌悪感?それは本当に彼氏なの?


スキンシップが苦手の程度に差があるのはわかるけど、友達に嫌悪感?それって友達なの?
こんなツッコミ待ったなしですが、具体的な例を挙げて筆者がどのように感じてしまうか、お話しします。
スキンシップ① 握手をする


一時期は、手と手を握り合うなんて控えなければ、なんて時期もありましたが・・・
「日常的・社会的な行為」として珍しいものではありませんね。
「握手」は身体的接触と言った方が正しいのかもしれませんが、スキンシップの1つとは言えると思います。
よろしくお願いしますという意味での握手、友人とノリだけでする握手、シチュエーションは色々。
では筆者は「握手をする」という行為をどのように思うのかと言いますと・・・
- 友人
問題ない。そこまで嫌でもない。でも、自分からはしない。 - 会社関係
問題ない。でも、自分からはしない。 - 彼氏
できれば触られたくない。でも拒むのも変なので耐える。 - 親
何も思わない。自分からはしないけど、されたとしても何も思わない。
基本的に、握手は「彼氏以外」については、自ら進んでしないものの、差し出された手を握ることについては、筆者は「あまり気にならない」ようです。
礼儀やマナー・社会的な行為という方が、頭の中で優先されるためだと思います。


でも「彼氏」には触られたくない。「彼氏」なのに?自分でも不思議です。でも触られたくない。
彼氏と握手はあまりない状況かもしれませんが、しかし、いざ考えてみても「嫌」の気持ちが大いに勝ります。
それでも彼氏と握手する必要があるなら、筆者の「我慢」が必要です。
- 友人・会社関係・親との握手はできる。
- 彼氏との握手は、する必要が迫ったらするが筆者の我慢が必要。
スキンシップ② 手をつなぐ
同じ手と手の触れ合いではありますが、個人的に「握手」と「手をつなぐ」は全く異なるスキンシップです。
何が違うのかと言うと「触れ合っていなければならない、時間の長さ」です。
握手はそんなに長くないと思いますし、逆に長い握手は少し不自然です。
しかし、手をつなぐ行為は「長い」「長くなる可能性が十二分にある」スキンシップとして、筆者には分類されます。


いつまで手をつながなければならないのか?


いつまでこの接触を我慢しなければならないのか?


我慢を強いられる・我慢をするべき時間がわからない=ストレスでしかない。
こんなところに「握手」と「手をつなぐ」の違いがあると思っています。
では筆者は「手をつなぐ」という行為をどのように思うのかと言いますと・・・
- 友人
できればしたくない。でも拒むのも変なので耐える。でも、問題ない時もある。 - 彼氏
できれば触られたくない。でも拒むのも変なので耐える。でも、時々拒む。 - 親
何も思わない。
会社関係の知り合いで手をつなぐことは、まずないと思ったので省きました。
同じように、親と手を繫ぐ機会もあまりないですが、嫌とも何とも感じません。
一方、握手はあまり気にならなかった「友人」ですが、手をつなぐ行為は「いつ終わるかわからないスキンシップ」と認識され、できれば避けたいという気持ちが生れます。
・・・そして・・・


彼氏と手をつなぎたくないってどういうこと?筆者だって、本当にどういうことなのかと思います。
友人については「嫌でも、時々は問題ない」のですが、彼氏については「いつでも我慢が必要で、かつ拒む時もある」という判断になります。
本当に本当に、彼氏と手を繫ぐのは我慢が必要で、下手したら鳥肌が立つこともありました。
彼氏と呼ばれる方に対して失礼なので、嫌な気持ちを悟られないようにしますが、体が緊張して、筆者から手を強く握らないように全身全霊で集中もします。
握り返されたくないからです。


強く握り返された時なんか、もう振りほどきたくて、振りほどきたくて辛いです。
- 親と手をつなぐことはできる。
- 友人と手をつなぐことは、できれば避けたい。
- 彼氏と手をつなぐことは、したくない。触らないでほしい。つなぐなら相当の我慢が必要。
スキンシップ③ 何気なく、さわられる
何気なく肩をさわられた時、体のどこかをさわってきた時、撫でられた時。
体のどこをさわられたかに関わらず、基本的に筆者は「苦手」です。
- 友人
問題ないが、触られた所を意識する。自分からは触らない。でも、何も思わない時もある。 - 彼氏
- 触らないで、お願いだから触らないで。
- 触られた場所に神経が集中し、その場所が痺れるような感覚に襲われ、不快で不快で仕方ないくらいの嫌悪感が時には発生。
- 相手への気遣いや礼儀を忘れ、強い力でがむしゃらに振りほどきそうになる。
- 親
苦手な触られ方をされたとき、そっと離れることがある。
比較的、気にならない側にいた「友人」と「親」への風当たりも、少し増しています。


そして、彼氏への風当たりが異様に強いです。
何気なくさわられる回数が多く、長くなりそうな場合を考えたら、もう我慢できません。
(なるべく接触が長くならないように、彼氏と筆者の間には距離がありました。筆者から望んで距離をとっていました)


いきなり沸点と我慢の到達点が訪れて、礼儀や気遣いを忘れた行動をとりかねない。
ふと思い出しました。
当時お付き合いしていた男性と外出した際、男性が筆者の左側面腹部、腰より少し上くらいであったか、その場所を漢数字の「一」を描くように人差し指で「つー」っと触ったのです。


人間であることを忘れんばかりの、怒髪冠を衝く「怒り」と「嫌悪」を理性で押し込めるのが大変でした。


そして、うっとり(?) している目をどうしても受け入れることができなかった。
男性も突然そんな行動に及んだのではなく、会話の流れがあってのことだとうっすら覚えています。
覚えていますし、ある程度の接触に至る文脈はあったと認識していても、今でも嫌な記憶として残っています。


脇腹ではなく、肩だったら感覚は変わっていた?


確かに、脇腹よりはマシかもしれないけど「それでも許せない・なぜ触ったのか?理由は?」と思ってしまう。
そのスキンシップに対して「する理由・したいと思うが見いだせず」、ただただ嫌と言う気持ちが湧いてしまう、が本音です。
ちなみに「筆者から、何気なく相手を触る」については、触る時間の長短に関わらず、特に彼氏については「嫌」の感情が先立ちます。
嫌のレベルも非常に高めです。絶対に・間違えても、自分からは触ることはしません/しませんでした。
- 親から何気なく触られた時、触られ方によっては逃げる。
- 友人から何気なく触られた時、触られた場所を意識するが、大丈夫な時も多い。
- 彼氏から何気なく触られた時、この世を終わらせるくらいの怒りと不快感が生れる。
スキンシップ④ ハグをする
ハグをする。握手・手を繫ぐ・何気なく触るより、体の接着面など大きめです。
そんなハグに対して筆者はどのように思うのかと言うと、こんな感じです。
- 友人
問題ない。でも、自分からはしない。 - 彼氏
できれば触られたくない。でも拒むのも変なので耐える。でも、時々拒む。 - 親
何も思わない。
自分の身体と相手の身体が接している面積が大きいのですが、何気なくさわるより軽めの反応、嫌と感じるレベルが低めです。
ハグは基本的に長時間するものではない=すぐに離れられるし、すぐに離れても不自然ではない=自分も傷つかないし、相手も傷つかない。
筆者が「嫌と感じる」スキンシップと「嫌と感じない」スキンシップの違いは、触れ合いを我慢しなければならない時間の長さが関係していると感じます。
- 友人とハグをしても、何も問題ない。でも、自分からすることはない。
- 彼氏とハグはしたくない。耐えられそうならするし、無理な時もある。
- 親とハグをしても、何も問題ない。


ちなみに、ハグはこの程度ですが「抱きしめる」となったら、筆者にとって別物、全くもって異なるスキンシップになります。


そして、彼氏に対しては「我慢できない・私が突き飛ばす前に、即座に離れてほしい」と感じます。
筆者が「嫌と感じる」「嫌と感じない」スキンシップの違いは、触れ合いを我慢しなければならない時間の長短にあると書きました。
しかし、長さが関係ない、どちらかと短いと思える「何気なくさわる」については、彼氏に対し、時間の長短に関わらず非常に強い拒絶反応がでます。
左脇腹を人差し指で筆者の許可なく、男性がつーっと触った時の反応が良い例です。
時間が短ければ良いのか、それとも接触面積が小さければ良いのか、場面によって変わりすぎて、我が身のことながらわからなくなります。


迷子になりかけますが、全てに共通して言えることがあります。
拒否反応が多かれ少なかれ出るのは、全て「彼氏」と呼んでいた男性、筆者を彼女として認識していた男性に対してだけなのです。
彼氏とのスキンシップが苦手な理由


「友人」「会社関係」「親」「彼氏」とスキンシップをする前提で、「握手」「手を繫ぐ」「何気なく触る」「ハグ」をした/された時に、筆者がどんな感情を抱くか書きました。
スキンシップをする対象により、筆者の感覚は大いに異なることがわかりました。


特に、彼氏と呼ぶ方に対して、基本的に接触を何一つ筆者は許していません。スキンシップの全てに我慢と苦痛が伴います。
筆者の友人たちを見てきた経験を元に、多数派の皆さんの感覚や考えを察すると、こう思われるのでしょうか。
- 彼氏にこそ1番スキンシップを許すのではないか?
- 彼氏とスキンシップしたいし、してほしいが基本ではないのか?
- ベタベタされるのが苦手な人がいるのはわかっているけど、なんでそこまで嫌と感じるのか?
では、なぜ筆者が彼氏にスキンシップをしてほしくないと感じるのでしょうか?
性的な関心を向けらることが苦痛


自分の感覚を整理できてきたと思っているのですが・・・
筆者は自分に対して、性的な関心が伴った「目」「感情・気持ち」を向けられることに嫌悪感があるのかもしれません。
アロマンティック・アセクシャルのため、筆者には「他者へ向ける恋愛感情も存在せず、性的な関心を誰かに向けることもありません」。


そのためか、性的な関心が伴った「目」というものを筆者はこのように認識してしまいます。
- 自分には存在しない意味不明のもの
- 自分には理解できない不快なもの
- 彼氏彼女の関係の場合は、受け入れざるを得ない苦痛
この感覚が原因で「彼氏」からのスキンシップを受け入れられず、嫌なものとして拒絶しているのではないかと思っています。
性的な関心を向けても許される相手=彼女


彼氏の全ての行動に「性的な関心」が込められている訳ではない、わかっているつもりです。
しかし、彼氏・彼女という関係・存在は「恋愛感情も含めて、性的な関心を抱く相手」であるのが、世の中の普通です。
言い換えれば、性的な関心を抱き、その気持ちを実行に移したとしても、許される・許してしまう・許さなければならない相手が彼氏であり、彼女であると思います。
(「許さなければならない」と書くと強く聞こえてしまいますが、強要を許容することが正しいと言っているわけではありません)


「恋愛感情を抱き抱かれ、性的に惹き惹かれる」関係が「彼氏・彼女」であることは、筆者も字面として理解しているのですが・・・
筆者は、性的な関心が伴った「目」「感情・気持ち」を向けられることに抵抗感があります。
つまり、性的な関心を筆者に対して抱くことを「許される」彼氏・「許さらなければならない」彼氏とのスキンシップが苦手で嫌なのだと結論付けました。


彼氏の全ての行動に、恋愛感情や性的な関心が込められている訳ではないのに
- 彼氏の全ての行動に恋愛感情を性的関心が込められていて、その気持ちが「筆者に向けられている」と認識してしまう。
- なぜなら、恋愛感情と性的な関心を抱き抱かれる関係が「彼氏と彼女」だから。
お付き合いする関係となったら、恋愛感情や性的な関心は当たり前の様に行き来する感情であるとは、頭の中では認識しています。
そのような感情が、ある一方からもう一方へ向けられる、決しておかしいものではないと分かっているのですが、体の方が凄まじい嫌悪感を発してしまうのが筆者の現実です。
アセクシャルだからスキンシップが苦手?


記事冒頭で「全てのアロマンティック・アセクシャルが筆者と同じように感じたり、考えたりするわけではありません」と書きました。
言葉の通り、全てのアセクシャルが筆者のように、彼氏とのスキンシップに困難を抱くとは限りません。
また、苦手と感じる方が多くいたとしても、苦手の程度には個人差があります。
ただし、筆者の場合について言えば「他者へ性的な関心を抱かない」という「アセクシャルの部分」が彼氏とのスキンシップが苦手の原因になっているのだろう、と自己分析するところです。


アセクシャルである筆者は、彼氏が筆者に対して向ける「性的な関心」をこのように認識してしまいます。
- 自分には存在しない意味不明のもの
- 自分には理解できない不快なもの
- 彼氏彼女の関係の場合は、受け入れざるを得ない苦痛
彼女として自分が認識されている以上、嫌でも受け入れなければならない、スキンシップ。
彼女が彼氏からのスキンシップを嫌がるのは、世間一般的におかしいのではないか、という感覚。
彼氏・彼女の関係である限り「性的な関心」をお互い向けあったとして、それは普通のこと、という世間一般の常識。
しかし、筆者は「アセクシャル」。
自分の人生には「ない感覚」「ない想い」としてしか分類されず、「彼氏」からのスキンシップを受け入れられず、嫌なものとして拒絶しているのではないかと思っています。
筆者のパーソナルスペース


スキンシップが苦手と、どのような関係にあるかはわかりませんが、ご参考までに。
筆者は、自分のパーソナルスペースへ立ち入るには、誰しも非常に多くのセキュリティーを解除する必要がある、と思っています。
そもそも筆者は、性的な関心が込められた(込められているかもしれない)スキンシップ「以外」も苦手です。
バスや電車で、隣の方の肘が当たったり、隣の方の荷物が筆者の身体に触れる、だけも嫌いで、不快感を覚えます。
また実のところ、友人であったとしても筆者に物理的に接近することを良し・許容しているのは、限られた友人であり、親友と呼ぶ子たちだけ。
物理的に接近を許す人を選んでいます。


彼氏に対することで言うのならば・・・
筆者は「そもそものスキンシップが苦手」+「パーソナルスペースに立ち入る人を選んでいる」+「性的な関心を向けられるのが苦手」。
彼氏という存在を受け入れようとすればするほど、自分が傷つきます。同時進行で男性も傷つけます。
一般的に彼氏/彼女/パートナーに対して「1番スキンシップしたいし、スキンシップしてほしいと思っている」と言っても変なことを言っているとはならないでしょう。
人それぞれではありますが、ずれている考えとはあまり思いません。
パーソナルスペースに入れる人を選んでいる筆者、恋愛的/性的な感情が込められた目線を向けられるのが嫌な筆者。
彼氏という存在は自分にとって、どのようなスキンシップについても苦痛が伴う存在にしかなり得なかったようです。


付き合ってくださった男性に対して、ものすごく失礼なことを言っているのは重々承知しております。。。
まとめ


自分ができるスキンシップ・できないスキンシップを説明するために、スキンシップをする相手として、複数挙げました。
- 「恋愛感情を抱かない、間として好き(友愛)の代表」として、「(同性の)友人」
- 「恋愛感情・性的関心が伴うはずの代表」として、「彼氏」
- 「親愛の最高峰」として、「親」
そして、スキンシップをいくつか列挙し、もし彼らとスキンシップしたらと考えました。


筆者は人より触られるの苦手/嫌いなのが良く分かりました。
そして、その原因の1つにはアセクシャルであること、があるようです。
他者に対して、性的な関心を抱かない「アセクシャル」。
アセクシャルである筆者は、彼氏が筆者に対して向ける「性的な関心」がこもった「目」や「感情」をこのように認識してしまいます。
- 自分には存在しない意味不明なもの
- 自分には理解できない感情で、不快なもの
- 彼氏彼女の関係の場合は、受け入れざるを得ない苦痛を生むもの
自分の人生には「ない感覚」としてしか認識できません。
そのためか「彼氏」からのスキンシップを受け入れられず、嫌なものとして拒絶しているのだと思います。
握手については、挨拶としての握手・ノリだけの握手、種類はあるかと思います。
しかし、接触していなければならない時間も短く、終わりが見えていること、礼儀・マナーとしての感覚が先立つことから、基本的に筆者は可能です。


しかし、彼氏となると話は別!
彼氏と握手という状況も不思議な状況ですが、できればしたくありません。する必要があったら、我慢が伴います。
「彼氏なのに握手できないって変じゃない?変でしょ。」自分でも、わかっているのです。
出来ない・したくない理由が、あからさまに自身にあって、その感覚が世間とずれているのは良くわかっています。
手をつなぐ行為について、筆者はこのように思います。
- いつまでこの時間は続くのか
- いつまで我慢しなければならないのか
このような感情が湧きだして、自ら手をつなごうと動くことはまずありません。あり得ません。
ただ、友人に対しては「友よ、あたなの希望なら仕方ない」という気持が湧き、内心気が進まないけど手はつなぎますし、つなげます。


一方彼氏はというと・・・無理!
握手同様に、自身の感覚・気持ちが世の中の感覚とずれいているのがわかるので、何とか耐えようとすることはあります。


手を繫いでいる間、自身の手と相手の手の接触面が常に絶え間なくざわつくのを我慢しなければなりません。
何気なくさわられた時。これについては今まで大丈夫と認識していた親でも、辛く思う時があります。
こちらは触られている時間の長短に関わらず、なかなか受け入れがたい。


彼氏については、嫌のレベルが非常に高く、不快と嫌悪感の波に襲われる時もありました。
友人については、触られた箇所を意識するくらいに留まりますが、
彼氏となると、触られた場所がザワザワ・ジンジンと疼くような不快感が生じ、振りほどきたくなったり、手が出そうになる衝動に駆られる時があります。


何気なく触られる、これは苦手の強弱はあっても苦手です。
体の接触面は広めかと思いますが、ハグはあまり長い時間するイメージがありません。
握手よりは苦手ですが、一時の我慢で関係性が壊れないのなら。我慢は可能です。


しかし、彼氏とはしたくない。これが本音です。
世間一般的な彼氏彼女の関係を考えた場合、筆者の感覚がずれているとは認識しているため、スキンシップを受け入れようと、努力と我慢はしている・・・
お相手からしてみたら、失礼極まりない言葉です。


我慢させてたの?ショックなんだけど。失礼じゃない?


そんな嫌?嫌だったの?我慢するくらい嫌なの?なんで付き合っているの?
我慢するという感覚は、相手を傷つける失礼な感覚なのは承知しています。
しかし、彼氏に対して筆者が信頼感を覚え、その関係性を大事にしたいと思った場合、自身の我慢で関係性が崩れないなら我慢しようとしていました。


失礼な感覚が、、と言いながら、筆者にはどうしても我慢ならないスキンシップが1つあります。
この世でその行為が許されるのは、自分だけ。自分が自分を触るときだけ。
そのスキンシップとは「指でスリスリされること」。イメージが湧きますでしょうか?
次の記事で「一切許容できないスキンシップ、指でスリスリ」について、書いて参ります。