
まだ、誰かを好きになったことがない・・・もしかして、私はアロマンティック?
なんて言葉を聞くと、自身の若い頃と比べて今はなんと情報に辿り着きやすくなったのか、
またLGBTに続く「QIA+」のような記載があることは、LとGとBとT以外の指向が世の中に出回り始めてきたのか実感いたします。
昔と比べてどうこう言う気はありませんが、少し羨ましく感じているのも事実です。なぜなら・・・
[昨今の場合]
人を好きになったことがない・恋愛感情を抱いたことがない、どうしてだろう?
- ネットを見ると/少し探すと「アロマンティック」という選択肢が見つけられる。
- 情報を探し出せる可能性が筆者が若いころよりも多くなった。
[筆者が若かった頃の場合]
人を好きになったことがない・恋愛感情を抱いたことがない、どうしてだろう?
- 「そんな人はいない」「まだ本当に好きになったことがないだけ」
- 「筆者だって、そんな人を聞いたことないけど・・・でも、なぜか誰も好きになれない現実がある」
- ストレスと疑問の山が大きくなり続けるばかり

・・・若い世代への羨ましさは何の役にも立たないので置いておきましょう。
アロマンティックやアセクシャルという言葉、そのものの意味については、こちらに記載しています。
アロマンティックであっても、そうではない立場の方でも、なかなか好きな人ができないと悩まれる方は多いのではないでしょうか。
では、なぜ筆者は自身をアロマンティックだと自認したのか?を解説しながら「恋愛未経験 誰かを好きになったことがない・恋愛感情を抱いたことがない私はアロマンティック?」について考えて参ります。
本当にまだ出会っていない可能性はある


さんざんこのブログで書いて参りました。
「好きな人ができない」と友人に悩みを打ち明けては言われ続けて「筆者の人生でもう二度と聞きたくない言葉5選」に選ばれる「まだ好きな人に出会っていないだけだよ」を言うのは忍びないのですが、、、


あえて言います。あなたがアロマンティックであると決めるのは早計ではありませんか?


「本当にまだ出会っていないだけかも」しれませんよ?
やはり、否定はできないと思います。「まだ出会っていないだけだよ」や「本気で誰かを好きになったことないだけだよ」、これらの言葉たちを。悩んでいる方が若ければ若いほど。
筆者みたいに30迎えるまで、自分はアロマンティックなのかそうではないのかと、ねじ切れんばかりに悩めとは一切言いませんし、
一旦アロマンティックとして生きることを選択、違うと思ったらまた別の生き方を選択したら良いとは思います。
自身が一番楽で受け入れられそうな立場を見つけたら、それで良い。本人がその状態に満足していたらそれで良い。
人生移ろうものです。


でも何故筆者があえて「まだ出会っていないだけでは?」「若ければ若いほど」と言うのかご説明いたします。
幼稚園生/小学生/中学生だけど好きな人ができない


幼稚園・小学生・中学生のお年頃の方については、考察の対象から除外しようと思います。
この年頃で「好きな人できない、アロマンティックかも?」と思い悩む子がいるのか疑問を抱きました。
「好きな人ができない」自身の疑問をネットで検索し情報を仕入れ「アロマンティックの可能性がる」ということまで、たどり着くことができるのか懐疑的です。
(中学生ならあり得るのかもしれない、と思ったりもしますが。。。)
筆者のことを言えば、この年頃から確かに既にアロマンティックだったと思っています。
- しかし、アロマンティックを自認だなんて、まだできていません
- しかし、小学生の頃には「まだ好きな人できたことないな」のように何かしらの違和感を覚えていたのは事実
- しかし、その「違和感」を「疑問」として認識するまでには至っていない状態
しかしながら、これは30歳を過ぎてアロマンティックと自認し、自身の過去を顧みた結果「昔からアロマンティックだったのだな」と思った、ただの結果論です。
アロマンティックである幼稚園・小学生・中学生はいると思いますが、その子たちが違和感を抱えながらも、
「違和感」が「疑問」として顕在化していない可能性の方が高いと個人的に判断し、今回の考察対象として加味するには若すぎるとして、除外いたします。
高校生/大学生だけど好きな人ができない
高校生・大学生の筆者は、周囲の友人などが「当たり前に恋愛して」「当たり前に彼氏/彼女ができている」現実を見ることで、
「自分には、まだ好きな人ができない」「好きな人って、なかなかできないんだな」「なんでできないのかな?」とは思っていましたが・・・
早い子なら幼稚園の時に初恋、なんて聞いたら「もう高校生なんですけど!?」とはなりますね。
幼稚園時代の初恋は、本当に恋愛感情をもって誰かを好きになったのかどうか、信義のほどはわかりませんが、
いずれにしても「誰かを好きになる/なれる」土台になる気持ちには変わりないでしょう。
ちなみに筆者が幼稚園の頃はこんな感じです。少し周りと毛色が違ったお子様かもしれません。
人間すくすく育っていき、高校生ともなると告白したりされたり、初めての恋人ができたりしますね。
筆者の周囲でも、それが当たり前でした。
大学生は言わずもがなですが、小学生・中学生・高校生の恋愛より、更に男女を意識したお付き合いをするのでしょう。


ちなみに筆者は高校生の頃に「まだ人を好きになったことがない」「恋愛感情を持ったことがない」と自覚しています。
高校生・大学生の筆者は、周囲の友人などが「当たり前に恋愛して」「当たり前に彼氏/彼女ができている」現実を確かに見ている状態。
自身の状態について「違和感」や「疑問」、時には「焦り」を覚えるのは仕方ないことかと思います。
高校生/大学生で好きな人ができない=アロマンティック?


もし、高校生/大学生の方が「まだ誰も好きになったことがない、もしかしてアロマンティックかも?」と悩みを打ち明けられたら、筆者はまずこう回答します。


いずれにしても「気になるだろうが、本当にまだ出会えていないだけかもしれない、もう少し様子を見たらどうでしょう」。
「自分には、まだ好きな人ができないな」とは思っていても、恋愛事に関する自分のスタートって遅いなとは思っていても、
全ての友人に「彼氏・彼女」がいた訳でもなく「まだ付き合ったことないけど」という子もいたのは事実。


若い筆者がアロマンティックという単語を知れたとしても、疑問を持ちつつ、もう少し自分を探すとも思います。
なぜなら、まだこの時分は自身がおかしいのではないか?なぜ恋愛感情が湧かないのか?と切迫したストレスを感じることがなかったからです。(筆者の場合ですが)


悩んで向き合った末に自身の指向の理解や受入・納得が始まると思っています。
筆者が勝手に思うに、高校生・大学生でまだ好きな人ができないという状態は周囲からしたら「遅めのスタート」なのかもしれません。
しかし、もしアロマンティックの可能性を持っているかもしれないと悩んでいるのなら。
これから出会うであろう色々な人と時間を過ごしてから、やはり自分は「アロマンティック」と言っても遅くはないと思います。


まず、アセクシャルかも、という選択肢を持っているだけでも十分のようにも思えます。
まだ誰かを好きになった経験がない事実を「アロマンティック」に直結させる理由は「アロマンティックに寄りかかりたい・すがりたいほどの気持ち」がなければ、ないのかもしれません。
基本的にこのブログでは、3〇歳のアロマンティック・アセクシャルと自認した後の筆者が、過去の自認前の筆者を思い出す時間の方が長いです。


30年ほどは異性愛者だと思って生きていましたからね。圧倒的に自認前の出来事を思い返す時間の方が長くなります。
そして筆者の人生は基本的にアロマンティック一色ですし、高校生の頃もすでにアロマンティックだったのだと思っています。
しかし前述した通り、それは現在の筆者が過去の自分を顧みて言えるだけの「結果論」です。
筆者の高校生/大学生時代と同じ感覚や悩み、違和感を持っていたとしても、他の方も筆者と同じ道を辿るとは言えません。
社会人の年齢だけど好きな人ができない
社会人となり、出会う人も変わる。二十台も半ばを越し、三十代が見え始めてくる。
友人知人の結婚式に参列する年頃でもあり、世間から見たら「間違いなく大人」。
酸いも甘いも嚙み分ける年齢にはまだ至らなくても「間違いなく大人」。
人間としての土台は完成し、後はどんな風に積み上げたり磨いたりするか悩んでいく年頃。


そんな年頃になっても、未だ好きな人ができないとなると疑問しかないですよね。よくわかります。
普通に結婚していく同世代の友人たちを見るたびに、焦ったり・羨ましいと感じたり、自分はなぜ普通にできないのかと悩んでみたり。
筆者は大学院の頃から婚活に手を出しては無念な結果を迎え、友人からの紹介で男性とお付き合いしても、自分の気持ちが一切伴わなかったりと、人生で一番迷走した時期かもしれません。
社会人の年齢で好きな人ができない=アロマンティック?




それでは「社会人」になっても「好きな人ができない人」はアロマンティックなの?


そうである可能性は高校生・大学生の年齢より、高くなっているのではないでしょうか。
恐らくこの年になると良くも悪くも筆者のように、恋愛感情ないけど付き合ってみた経験がある人はいらっしゃると思います。経験を重ねた結果、、、


そろそろ、疑問が見過ごせないほどに膨らみ、自身の気持ちや感情についても「周囲とのずれが明らかにある」と気づき始めます。
人によっては、思い切って友人に相談される方もいるのではないでしょうか。


実は、まだ人生で好きな人ができたことがない。


そんなことないやろ。ありえるんやったら、まだ本当に好きな人と出会えてないだけちゃう?
相談しては同じ回答が返ってくる。
もし、下記のように感じたらアロマンティックと検索して調べてみてはいかがでしょうか。
- 相談しておきながら申し訳ないけど、出会えていないだけとはなぜか思えない。
- 2〇年生きてきて、一度も好きな人ができないってことあり得るのか?
- かっこいい/可愛い/綺麗と思うけれども、その感想だけで終わる。お付き合いした気持ちに繋がない。
- そもそも、かっこいいな⇒惹かれるなぁ⇒お付き合いしたいな、この流れが自分の心に存在しない。
- 本当に好きになったことないと言われるけど、確かに「恋愛感情」を抱いたことない。
- 今後も好きにならないような気がする。
- 自分は変わらないような気がする。
もしかしたら上に書いたようなこと、悩んでいる最中の方によっては、ご自身の現状にしっくりくるかもしれません。
「アロマンティックを自認」もしくは「アロマンティックのような感じ方かも」と受け入れるきっかけになるかもしれませんね。
最後に大事なことですが、アロマンティックだから・アロマンティックの可能性があるからと言って、「好きな人ができる可能性」を捨てる必要はありません。
30歳を迎えても好きな人ができない=アロマンティック?
アロマンティックである可能性、そうではない可能性、どちらも否定はできません。


筆者はこれまでさんざん悩み助けてほしくて仕方ない状態でしたので、
自身がアロマンティック(=正確にはアロマンティック・アセクシャル)であることは非常に簡単に受け入れられました。


やっと自身の立ち位置を見つけられて、このまま(=恋愛感情を抱かない状態)でも良いのだ、嬉しいといった感じです。
逆にどうしても受け入れがたいと感じる方もいらっしゃるのでしょうし、
知りたくなかった、アロマンティックが自身を苦しめている状態の方もいらっしゃるのでしょう。
筆者はアロマンティックに救われた立場ですので、どのような気持ちでいるか実際は分かりません。
かけるべき言葉に迷いますが、昔と違ってSNSもありますので似た様な立場の人を見つけて情報を仕入れたり、交換するのも良いと感じます。
まとめ


恋愛未経験=誰かを好きになったことがない=アロマンティックの方程式は成り立ちません。
30歳間際まで悩んできた筆者にとっては聞きたくなさすぎの言葉「まだ出会っていないだけ」が、若ければ若いほど適用されると思うからです。
場合によっては、アロマンティック以外のセクシャリティーの可能性もあり得ます。
深い信頼を感じた時や強い絆を感じた時に、場合によっては恋愛感情を抱く指向「デミロマンティック」もあるそうです。
筆者は生まれたその時から、自身はアロマンティックであると思っていますが、そう思うようになったのは自認後の話。
「何かしら周囲との違和感」を感じとれても「疑問」や「問題」までには至らない、
人生の蓄えてきた戸惑い・疑問・不安・ストレスを含んだ経験値が年齢によって一定程度違うせいか、
アロマンティックの自認は若ければ若いほど慎重になるべきかと思います。
しかし、色々な出会いを経たうえで年齢を重ねていき、周囲との感覚のズレや生きにくさや、自身への疑問がストレスに感じ始めたのであれば、一度ご自身を見返る時期なのかもしれません。


こういう疑問は年々、年を重ねれば重ねるほど大きくなるものです。
幸いなことに昨今は昔に比べて、少数派の中の少数派の存在もネットで調べたら出てきます。
その中で自分の考えや感じ方にあうものがあれば、言うことはありません。
もし、30歳過ぎても「恋愛感情を他者へ抱いたことがない」とお悩みの方、ぜひアロマンティック・アセクシャルと検索してみてください。


アロマンティックと検索して、この記事に辿り着いた方はぜひ他の記事もご覧くださいね。