出会っていないだけと言わないで – アロマンティックと信じてもらえない辛さ

出会っていないだけと言わないで - アロマンティックと信じてもらえない辛さ 悩みや疑問

筆者個人のことですが、アロマンティック・アセクシャルと自認に至るまで、

  • 「他者に対して恋愛感情を抱かない、アロマンティック」・「他者に対して性的な関心を抱かない、アセクシャル」自体の情報量の少なさ
  • アロマンティックであること・アセクシャルであることが、あまりにも「周囲の人々の普通」とかけ離れていること

このような理由で筆者は自認に時間がかかったと思っています。

筆者
筆者

自認に至るまでの時間は人それぞれですが、個人的には悩んだ期間の方が非常に長かったと感じています。

  • 恋愛感情を抱く/性的に惹かれることは世の中では当たり前(=普通)
    ⇒当たり前に自身が含まれない側であったとしても、気付くまでは、自身もそちら側の人間だと思ってしまいます。
    ⇒アロマンティックやアセクシャルは自認しにくいセクシャリティです。
  • LGBTと呼ばれる集団のなかでも、少数派
    少数派と声高に言うのは必要以上の区別を生みかねませんが、しかし事実だと思っています。
    ⇒恋愛感情を抱く行為自体・性的に惹かれれること自体に困難や疑問を抱える人数の方が少ないお認識しています。

現在となってはLGBTQIA+なんて言われることもあり、A(アセクシャル)についても比較的情報は手に入れやすくなりました。

筆者
筆者

しかし!人口が少ない分、認知度もまた低い。

LやGの方は年齢層が上の方にも「最近はそんな方もいるみたいね」とは言ってもらえるでしょう。

一方、アロマンティック・アセクシャルはそうもいきません

当事者からしてみたら、カミングアウトして楽になりたい、本当の自分でいたい、認めてもらいたい等、希望はいろいろあるでしょう。

しかし、どうしても理解し難さが先に立つ「アロマンティック・アセクシャル」。

思い切ってカミングアウトしても、わかってもらえなかったら辛いやら切ないやら・・・

筆者
筆者

今回は特に「アロマンティック」について「認めてもらえない・理解してもらえない・信じてもらえない」と「なぜ信じられないのか、その理由」に焦点をあてて書いて参ります。

誰も好きになった事がない悩み、一緒に考えます 本当に好きな人に出会っていないだけ、とは思えない方へ

[筆者の場合] わかって欲しいと努力する方がストレス

理解を求める方が大変
筆者
筆者

いきなり元も子もないことを言ってしまいますが・・・

筆者にとって、カミングアウトして相手にアロマンティックについて理解してもらおうと努力する方が面倒でストレスです。

記事冒頭でも書きましたが、「周囲人々の普通」とアロマンティックであること・アセクシャルであることが、あまりにもとかけ離れているからです。

これまで「まだ好きな人ができない」と友人に相談しては、散々「まだ出会っていないだけ」・「本当に好きになったことがないだけ」等、聞いて参りました。

しかし、これらの発言は「友人たち=世の中の大多数の方=他者に対して恋愛感情を抱く人」にとっての「疑いようのない普通」であり「できないほうが不自然」であり「摩訶不思議」な現象なのです。

また、言葉をかけてくれた友人達はアロマンティックやアセクシャルの知識一つ、単語一つ当時は知っていません。(そのはずです)

同時に、筆者自身も「アロマンティック」と「アセクシャル」について、単語の存在すら知っていません。

筆者
筆者

場合によっては、当事者ですら自身の状態について把握できていないことがある。理解を求めるための説明は非常に難しいですね。

その後、筆者は有り難いことに「アロマンティック」と「アセクシャル」と出会うことができ、自認にも至れました。

しかし、自認に至り少なからず自身の指向について情報を手に入れたことで、より明確に顕在化した「世の中の普通・大多数の感覚」と「自身の指向」の「違い」をより感じるようになりました。

認知度がそもそも低く、さらに世の中の大多数の方が当たり前にしていることを「しない」「できない」ことへ理解を求めるための説明をする。

筆者
筆者

・・・どう考えても、大変ですね。

自認に至るまでの七転八倒の疲れがとれた未来の筆者はどうするかわかりませんが、まだ悩み疲れの記憶が拭いきれない現在の筆者は、もう疲れるようなことはしたくありません。

逆に考えても良いと思います。アロマンティック当事者に恋愛感情を理解してもらうために説明する。

アロマンティック当事者は自身に身に覚えのない感情であったとしても、それぞれの年齢程度に察することはできると思います。

確かに、世の中の普通(=誰かに恋愛感情を抱くこと)の中で違和感・疑問を抱えながらも生きてきたのなら、一定は察せられるでしょうが、

ロマンティックの方がアロマンティックに対して、恋愛のある世界を説明し、理解を得ようとするのは難しさの方が先立ちそうです。

※ロマンティック=他者に対して恋愛感情を抱く方
※異性に対して恋愛感情を抱くならヘテロロマンティック、同性に対してならホモロマンティックと言います

理解しがたいことは世の中にたくさんある

何もアロマンティックのみ説明が難しい訳ではありません。

自分の世界にはないものに対して、自分が理解に苦しむことは他にもあると思います。

  • 鳩が身の毛がよだつほど苦手で見ることもできない。目に入ったら遠回りしても逃げる。
  • 畳の目が繋がっているのを見られない。目と目の間の隙間が耐えられない。
  • サクラなど、花が開く様(蕾からパッと花咲く感じ)が不快。

鳩は平和の象徴、畳は日本人の心、桜も日本人の心。(やや偏見)

つまり嫌という方が珍しく、大体の方がなぜ嫌なのか苦手で仕方ないのか理解に困りますね。

筆者
筆者

筆者だって、この3つの例は理解に苦しみます。なぜそうなるのか?と。

嫌いなものは嫌いなのでしょう。特に個人の好みや本能・気質が関係する嫌いとなれば「嫌いなものは嫌い」、当然だと思います。

そのような嫌いと筆者が対面した時は「嫌いなら仕方ないよね」と許容する方向に舵を切りますが、正直理解は難しい。

基本的に、一定人数から成るの集団が形成されないと「確かに気持ち悪いかもね」「苦手な人が多いのも理解はできる」など、世の中の人には思ってもらえません。

筆者
筆者

例えば、先の尖ったものが駄目な方とかいらっしゃいますよね。

こちらは一定の人数がいるため、自分が尖ったものが大丈夫でも「そんな人いないでしょ」のように、突然の否定が飛んできません。

筆者にも理解し難いことはあり、それについてどんなに熱をもって説明されても、自分のこととは縁遠すぎて、完璧な理解には至りません。

やはり筆者にとって、アロマンティック・アセクシャルを世の中の皆さんにわかってもらおうと頑張ることはできません。

カミングアウトの記事にも書きましたが、売れ残りの女(実際そうですが)だけをしている方が、今のことろ楽に感じます。

なぜアロマンティックだと信じてもらえないのか?

理解を求めるなら、越えなければならない壁

筆者が個人的に思うことをつらつら書きましたが、と言っても、誰かに打ち明けるも打ち明けないも、

理解してもらえるように説明するもしないも、当事者個々人の判断であり、自由です。

筆者
筆者

しかし当事者は良く分かっているはずです。懇切丁寧に説明してもわかってもらえない可能性があることを。

非常にプライベートな事柄を打ち明けたのに、綺麗サッパリ伝わらなかったら悲しいし、逆になんでわかってくれないの?となってしまいそうです。

ではなぜ、わかってもらえないのか・信じてもらえないのか、認めてもらえないのか、理由を考えてみたいと思います。

打ち明けた相手の年齢により理解が難しい

筆者
筆者

あるあるでしょうが、まず簡単に挙げられるものとして、打ち明けた相手のご年齢。

ちなみに20代なら十分理解を得られて、30代ならまぁまぁ、40代にはわからない可能性が、と年代別に区別できるものではありませんし、

年代別に理解度を区切ること自体無意味に思いますが、ただ若すぎても、また人生の大先輩すぎても、流石に難しい・・・現実的に打ち明けるかどうかも疑問ですが。。

では、理解が難しい原因として年齢をなぜ挙げるかというと、

  • その方が成長する過程、人格形成をする過程で背景にあった時代の考え方は時代により異なるから。
  • その人が育った時代背景はその人の考え方に一定の影響を与えるだろうから。

今では言ってはいけない言葉や行為が「え?何かいけないの?」状態で「あなたがそんなんだから、何か言われて当たり前」と判断された時代に育った方もいたでしょう。

筆者
筆者

筆者が幼稚園・小学生の頃はまさしくこの時代。

筆者
筆者

基本的に男の子は男らしくあれ、それが普通。女の子は女らしくあれ、その何が問題か?

下記記事の冒頭箇所をご覧いただけたら、筆者の幼少期の世の中の雰囲気がわかるかと思います。

元気だったらそれでOK!という考え方も出始めてきていたのでしょうが、まだまだ現在の考えや感覚とは程遠い時代です。

  • 男の子は男の子、女の子は女の子、世の中に性別(こころの性含む)は2種類のみ存在する。
  • この枠に当てはまれないのなら、それは・・・(お察しください)

筆者の幼少期の頃でも、こんな恐ろしい考えが色濃く残る、残ると言いますか引き続き存在している状態です。

それでは筆者の親世代は?祖父母世代は?となると、こんな考えがより強烈だったのだろうとは簡単に察しがつきます。

筆者
筆者

そして人間は年を重ねれば重ねるほど、新しい事柄を吸収できにくくなります。

仕事でパソコンを使わなければ給与が頂けないとなると、年輪を重ねた方も自身に直結することとして操作を覚えるでしょうが、

LGBT関連で自身に直結しないとなると、優先度は最下位か下から数えた方が早いでしょう。

身内に当事者がいたとしても、その当事者が一生懸命説明したとしても、年齢を重ねるほど自身の知っている常識が優先され、正しいものとして処理されます。(これが悪い訳ではありません)

筆者の場合、アロマンティック・アセクシャルと気づいた頃、祖父は他界、祖母は健在でしたが、祖母にわかってもらおうとは一切思いませんでした。

  • 高齢の祖母の心を波立てたくない。
    ⇒アロマンティック・アセクシャルであることは、わざわざ祖母の心を波立てても話す内容ではないから。
  • 祖母の年齢、育った時代背景を考えると言う気になれない。
    特に祖母はLGBT関連の話は嫌がっていた、テレビから聞こえてきたら気持悪いと吐き捨てるように言っていた。
    嫌と言っても、嫌悪と言った方が正確であり、恐らく「本能的なもので嫌の理由はない」。
    ⇒言ったところで理解を示してもらえるどころか、病院へ行けと言われると思ったから。
筆者
筆者

打ち明けて、認めてほしい・理解を少しでも示してほしいと当事者本人がどんなに祈っても、叶わない祈りもあります。

恋愛感情を抱けるが故に理解が難しい

「なぜアロマンティックだと信じてもらえないのか」なぜなら「恋愛感情を抱けるが故に理解が難しい」から。

こちらの理由ですが、他の記事でも触れております。

どのようなことを書いているのか、簡単に再度まとめたら・・・

大多数の方にとっては「恋愛感情=呼吸」

  • 何も考えずとも出来ること(恋愛感情を抱くこと)が出来ない/しないことが意味不明。
  • 恋愛感情を抱くことは世の中の人にとって「疑いようのない普通」。
  • 目の前にいる人/自分と話している人が「自分の知らない普通」の世界で生きているとは、なかなか思えない。

アロマンティック・アセクシャルである筆者にとっても、なぜに皆さんそう簡単に呼吸するが如く自然に人を恋愛感情ありで好きになれるのか、不思議でしかたありません。

恋愛感情を抱ける人と抱けない人/抱かない人で、立場は真逆のところに位置しています。

存在している指向として認識することは可能でしょう。

しかし、恋愛感情を抱かないアロマンティックが恋愛感情を自身のものとして理解できないように、

恋愛感情を抱ける大多数の方から、恋愛感情を抱かないアロマンティックの当事者が期待する理解を得ることは厳しいのでしょう。

筆者
筆者

理解が難しくとも、アロマンティック・アセクシャルの存在の否定だけはしないでくださいと頼むくらいしか言えません。

やり過ごせるようになるための決心は必要

筆者
筆者

なりたくてなった訳ではない、アロマンティック・アセクシャル。

筆者
筆者

なりたくてなった訳ではないのに、大多数側に立っていないだけで、面倒なことがある

どういうことなの、なんで自分がこうなってしまったのかと理不尽だと思うこともあります。

でも、こうなってしまったものは、もう仕方ないのです。当事者本人が受け入れられないと、本人が苦しいだけです。

筆者は楽になるために、全ての煩わしさをやり過ごせるように、さっさと自身の指向を受け入れました。

筆者
筆者

逆にアロマンティック・アセクシャルって立場見つけたぞ!嬉しい、さぁ飛び込め!くらいのテンションでした。

そして開き直りました。(あくまで筆者個人の考えです)

  • これまで複数回相談したけど、結果は得られなかった。
    ⇒つまり自身の指向は数少ない方。わかってもらおうと期待する方が疲れる。
  • 売れ残りの女を演じきってみせましょう。
    ⇒この方が、恐らく家族も自身も幸せ。
  • 何か言われても諦めの境地に立ち、自分の指向を怒りにまかせて決して漏らさないこと。
    ⇒他人の些細な意見に心をざわつかせるのは、もったいないこと。

まとめ

筆者
筆者

・・・無理なものは無理という終わり方になってしまいました。

分かってほしいと思う人(大事な人や家族、親友でしょうか)に自分のことをわかってもらえないのも悲しく、寂しいことだとは理解しているうえで・・・

世の中の大多数の方に対して「アロマンティックを理解してほしい」「アロマンティックだと信じてほしい」など希望や期待があったとしても、

  • 理解を求めたい相手の年齢により、難しい場合がある
    →その方の人格が形成された時代によっては、LGBTに対して否定的・排斥的な考えが普通であった・まかり通っていた時代がある。
  • 理解を求めたい相手が恋愛感情を抱く人だった場合、難しい場合がある
    →「世の中の大多数の方=他者に対して恋愛感情を抱く人」にとって恋愛することは「疑いようのない普通」であり「できないほうが不自然」。
    →恋愛感情を抱かないことは「摩訶不思議」な現象である。

理解してもらえない・信じてもらえないのは、もう仕方のないこと・どうしようもないことだと割り切る方が人生楽に生きられるような気がします。

勿論、不快な言葉を聞くこともあるでしょう、自身を偽る機会も多くなるでしょう、でもこればかりは割り切る方が良いのではと筆者は思います。

筆者
筆者

逆に、え?まだ出会っていないだけって言わないの?

筆者
筆者

理解は難しいけど、そんな人もいるって思ってくれるの?

こんな風に言ってくれる方に会える方が稀で、会えたら非常にありがたいことくらいと思うしかない。

安直な表現ですが、自認できて受け入れられていたら、それで良いと思います。(受け入れられずに苦しい方もいらっしゃると思います)

私のこと分かってよ!理解してよ!と言ったところで、考えていることは結局その人にしかわかりませんし、

そもそも自分のことを人に十分理解してもらうことは、アロマンティック関係なく結構難しい作業なのかと思います。

誰も好きになった事がない悩み、一緒に考えます 本当に好きな人に出会っていないだけ、とは思えない方へ
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