こちらの記事には要点をまとめた記事が別にあります。まずは要点を!という方がいらっしゃいましたら、こちらをご覧ください。
筆者はこのブログの記事で時折「人類の人生の通常ルート」なるもについて、記載しております。


勿論、筆者個人が考えているだけに留まりますが、そんなに変な事を言ってもいないと思います。
「人類の人生の通常ルート」とは何かを語弊を恐れずに言いましたら・・・
人間、大体の人は結婚して、子供産むんでしょ。


非常にざっくり言いましたし、皆の人生それだけではないのは筆者も良く分かっています。
なぜ分かっているのに、わざわざ記事にしようかと思ったかと言うと、筆者がアロマンティック・アセクシャルだから。
「人生の通常ルート」からどうしても外れた生き方になってしまう存在だから、
どうしても人生の通常ルートを歩む方から見れば、異なる生き方でをしており、些か目立ってしまいます。
目に入るだけなら良いのですが、ただの助言や気遣いや優しさが、アロマンティック・アセクシャルからしてみれば、勝手ながら心が波立つ原因にもなり得ます。


今回の記事では、アロマンティック・アセクシャルと結婚について自分の考えを交えながら考えていきたいと思います。
アロマンティック・アセクシャル×結婚


人生において結婚や子供について悩むことは当たり前で、アロマンティック・アセクシャルだけに限りません。
しかし、アロマンティック・アセクシャルだからこそ直面するやるせなさがいくつかあると思います。
ざっくりこんな感じで、後ほど少し掘り下げて書いていきます。
- 結婚相手がいつまで経ってもできない事実
- 人生の通常ルートを歩んでいる友人・知人・親戚etc.から置いて行かれる
- 場合によっては、どんなに自立していても半人前とみなされる


他にもあるのでしょうが、筆者が日常生活を通じて感じたことや察することができるのは上記でしょうか。


では早速、少しつっこんで書いて参りましょう。
結婚相手がいつまで経ってもできない
アロマンティック・アセクシャルの筆者が言うのも変な感じですが、結婚とは好きになった者同士が法律を巻き込んで結びつきを強めるものかと思います。(一部除く)
恋愛が一般的に好き同士がする行為であるならば、恋愛が結婚との架け橋の第一歩であるならば、
恋愛感情を抱かないアロマンティックという恋愛的指向を持っている人は、自分の心に嘘をつかなければ「恋愛」結婚は出来ないことなのでしょう。


筆者の場合、自分の心に嘘をつかずに生きるのなら、人生を終えるまで結婚はできません。
- そうなると下記の記事でも書きましたが、売れ残りを演じ続けなければならないのです(実際筆者は売れ残りなのですが・・・)
- 他者からの詮索の対象にもなったりするのでしょう
- 時にはかわいそうと思われたり、心無い人からは、いつまで経っても家庭を持てない残念な人と思われたりすることも・・・
筆者としては売れ残りを演じる方が楽ですのでそうしていますが、
結婚に至らないばかりに、心にモヤモヤを抱えているアロマンティック・アセクシャルの方はいらっしゃると思います。
「友情」結婚を目的としていても、アロマンティックやアセクシャルをどこまで受け入れてもらえるのか、
アロマンティック・アセクシャル側がどこまで相手の希望を受け入れられるのか、すり合わせが難しそうだと察することはできます。


アロマンティック・アセクシャルが、どのような形の「結婚」でも、結婚にたどり着くには越える壁の質も壁の高さも異なりそうです。
友人・知人・親戚etc.から置いて行かれる


さみしい!置いてかないで、友よ~ (素直に認められない感情です。置いていかないでなんて思っていないと言いたいけど・・・)


やっぱり、あなたもそうする(=結婚/出産等)のね、そうすることが出来る人なのね。。。 (割り切ったつもりなのに、勝手に傷ついている自分に気づいて嫌になります)
アロマンティック・アセクシャルではなくても、親友が結婚して今までと同じように遊んだり出来なくなって、少し遠い存在なっちゃったな、なんて良くあることです。
喜ばしい気持ちと、少し寂しい気持ちが入り混じるかと思います。次は自分が結婚!と焦ったりする場合もあるのでしょうね。
ただ、アロマンティック・アセクシャルは言わんともしがたい焦燥感・悲壮感・あきらめがあっても、それを容易に解決できません。


なぜなら、アロマンティック・アセクシャルだから。
筆者は自身もできたら皆と同じように人生の通常ルートに乗れたら良いな、なんて思ったりしながら、
でも、実際に人生の通常ルートに明日から乗れますよ、恋愛して結婚して出産できます!と言われたら、
戸惑いと、不安と、驚き、そして「やっぱり、いいです。アロマンティック・アセクシャルのまま生きます」と言う自分しか見えない。。。
友人・親戚の結婚式に参列し、子供が生まれた方にはお祝いをし、そして私一人が独りだけ。
ああ寂しい・虚しい・羨望感があるけど、その感情を認めたくない部分もあったりしてどうしようもないモヤモヤのみが心に漂う。
独身の友人はあからさまに減り、残りの独身の友人も時間の問題かな。
どんなに自立していても半人前?
今のご時世、こんな考えを人に言ったり押し付けたりする人はどれくらいいるのか分かりませんが、でもいらっしゃるでしょう。
「家族/家庭をもってこそ、一人前」とおっしゃる方。
筆者としては、そんなことを言う方とは、そもそも異なる世界を生きているので、関わり合う全ての時間が無駄と判断し、存在がないものとして、その方を脳内処理します。


どうか無関係でいましょう。
恋愛感情を抱ける方でも、こんなことを言われたら嫌ですよね。
結婚する・しない/結婚したい・したくないは本人が決めることです。(勿論、アロマンティック・アセクシャルにも自己決定権はあるはずです)


筆者は「早々に独身でいようと決めた」アロマンティック・アセクシャルです。


些かモヤモヤするのは、結婚して見返したり、家族・家庭を持って一人前と見せつけたい、という選択肢すら持てないこと。


見返そうなんて思って実行に移したものなら、自身の心の方がドンガラガッシャーンと崩れ去りそうです。
①結婚相手ができない、②周囲から置いて行かれる、③いつまでも半人前と3つモヤモヤを語りましたが、
全て恋愛感情を抱ける方でも直面する可能性のある事柄。
わざわざ、何故に列挙したかというと、アロマンティック・アセクシャルにはアロマンティック・アセクシャルである限り、
これらを解決するには恐らく一般とは困難が待ち構えているだろうと思ったからです。
アロマンティック・アセクシャルは結婚に興味あるの?


アロマンティック・アセクシャルは結婚に興味があるのか、結婚してみたいと思うのか?
勿論、答えは人それぞれで個々によるかと思います。
実際に結婚まで至るかどうかも同じ話。ただ、筆者について言うのであれば・・・
- 興味がない訳ではなく、良いな/羨ましいなとも思ったりする。
- 結婚したら面倒なこともあるけど、助かる部分も色々あるんだろうなと想像する。
- こんな事を言いつつ、アロマンティック・アセクシャルである自身を思い出すと、無理としか思えない。
- 自分が想像しているのは理想や希望だけで、実際自分が結婚したらなんて考えられない。


興味はあるけれど、実際は無理でしかない、が今の筆者の心かと思います。
と言いつつ、覚悟は決まっていますが、一人で生きていき、同居の母が心穏やかに苦労なく年を重ねられるように筆者一人で全ての面倒をみる・・・
となると、時々しんどくなる時があります。今まで苦労をかけた分、母を気遣うのは当たり前なのですが、全て孤軍奮闘です。


自分に頼りになれる人がいたらなぁ、違うのかなぁ


気持ちを一人で抱えずに分け合えたら、心強いのかなぁ
なんて、覚悟を決めているにも関わらず、未練がましくも考えてしまいます。
でも、結婚となると無理以外の他でもない、と思考が巡り、しっかりしろ自分と鼓舞して陰鬱とした気持ちを終了させないといけません。
アロマンティック・アセクシャル×パートナー
筆者の場合、誰かがいてくれたら心強いのかなぁと思うことはあっても、それが結婚となれば無理の気持ちが急成長。
それなら、結婚という形を取らずに「パートナー」ならばどう思うのか、少し考えてみました。


大前提として、少なくともお相手もアロマンティック・アセクシャルじゃないと無理かもしれません。
婚姻関係になるのか、パートナーとして過ごすのか、法的にもできる事とできない事、保護される事とされない事、自由になる事とならない事、いずれの立場を取っても変わる事はわかります。


しかし、今のところの筆者にとっては「パートナー」についても、結局は「荷が重い」方へ気持ちが傾きます。
パートナーがアロマンティック・アセクシャルであったとしても、誰かに頼ることができる安心と喜びをあえて感じたくない。
勿論日ごろの生活で誰かに助けられることがあっても、自分の人生と母の人生を自分一人で面倒をみると決めた今、
パートナーなんて出来たら逆に恐ろしい。
別れた時、支えがなくなった時、果たして筆者はどう自身を保つのか不安と疑問がいっぱいです。
夫を何の前触れもなく亡くした母を目の前で見た筆者からすれば「それなら最初からパートナーはいない・作らない方が楽」の思考が先立ちます。
筆者ばかりの考えを述べましたが、アロマンティック・アセクシャルにとって「結婚」や「パートナー」の希望や考えはどうなのでしょうね。
相手もアロマンティック・アセクシャルなら、結婚したい/パートナーとして過ごしたい。
これが、考えとして一番手になるのでしょうか?
もし筆者の父が健在で、父母が一緒に暮らしているのを見ている人生を送っていたら、こんな考えになるのかもしれません。
アロマンティック・アセクシャルは子供がほしいの?


結構です。以上。
おっと、筆者の個人的な意見を言ってしまいました。


筆者が人より輪をかけて苦手なのですよ。本当に。
筆者は本当に苦手でして「結構です」が寝言でも口から出るくらいです。。。
自身がアロマンティック・アセクシャルであるのに、アロマンティック・アセクシャルが思う子供関連の考えは非常に察することすら難しいです・・・
他の同じ立場の方はどうなのでしょうか。子供が欲しくとも恐らく、アセクシャルの指向が行く手を阻むのでしょうか。
しかし、アセクシャルと自認されていても子供をもうけている方はいらっしゃいます。
話し過ぎると下世話になるので止めますが、そこは子供をもうけるという目的のための手段として、許容可能なものなのでしょうかね?
それよりその前にアロマンティックの指向により、まず恋人関係に辿り着くのすら危うい可能性が・・・?
恋愛的指向と性的指向から考えると、アロマンティック・アセクシャルが血縁関係のある自身の子供をもうけるのには乗り越えるものがありそうですが、
同じ立場同士で結婚し、お子さんを別の方法で迎え入れることも昨今可能でございますよね。。。
良識のある方でしたら血縁関係があるなしに関わらず、自身の子供は子供かと思われるのだろうと察します。


子供関連の話が疎すぎて、すみません、着地点が行方不明になりかけています。
- 子供をもうけたいかどうかは、アロマンティック・アセクシャルであっても人それぞれ
- 子供を迎え入れるにも、色々な迎え方がある
- 子供をもうけるにも、どんな立場の方と一緒になりうるか/一緒になれるかどうかも人それぞれ
差し障りのない感じに収まりましたが筆者のことを言えば・・・
- 筆者と同じ立場であったとしても、結婚相手もパートナーも求めていない
→なぜなら、独りで生きる気力や決心が揺らぐから(未練がましく、いたらいいな~どんなんかな~とは勿論思うことはあります) - 子供も求めていない
→お恥ずかしくも、恐らくおばば様になっても子供は抜けきらない気がします
まとめ
「他者に対して恋愛感情を抱かない」恋愛的指向であり、「他者へ性的に惹かれない」性的指向でもあるアロマンティック・アセクシャルが
婚姻・パートナー関係を築いたら、「恋愛」を経て「恋愛結婚」に至った方々とは、恐らく違う雰囲気が漂っていたり・決まり事があるでしょうね。
それをまとめきるには、筆者の知識も経験も不足しておりますし、まとめたところで結局は人生人それぞれにたどり着きそうです。
- 筆者みたいに、結婚や子供に興味がないアロマンティック・アセクシャル
- 同じ立場の方となら、結婚やパートナー関係を築きたいアロマンティック・アセクシャル
- 立場が異なった方と築き上げることになっても、家庭をもうけたいアロマンティック・アセクシャル
- 結婚やパートナーを必要とはしないが、子供はもうけたいアロマンティック・アセクシャル
パターンや思考は色々あって、網羅することはできません。人の数だけ、人生があると良く言ったものです。
筆者が言えることは、その人の人生を否定しないこと、アロマンティック・アセクシャルが結婚するってどういうこと?あなた本当にアロマンティック・アセクシャルなの?なんて言わないことです。
- 独身で過ごすか、結婚したいか、パートナーが欲しいか、自分の心の希望を聞いて決めるのは、誰にとっても同じことのはずです。
- 信頼できる人が欲しい、頼れる人が欲しい、家族が欲しい、子供がほしい、という気持ちはアロマンティック・アセクシャルも同様に持つ自然な気持ちです。


筆者は孤独と引き続きお付き合いすることになりますが、自分で選んだこと。それが一番楽だと思ったので、これからもお付き合いしていく所存です。