世の中には色々な事情が絡んだカミングアウトがあるかと思います。
例えば、自身の過去の行いを打ち明けるカミングアウト等、それぞれ事情は様々ですね。
LGBTに関係した自身の指向について打ち明けることも、漏れずカミングアウトです。筆者は前の記事で、

自身がアロマンティック・アセクシャルであることを現在のところ誰一人として伝えるつもりはない。
と、書きました。勿論、前回の記事から意思は変わらずカミングアウトの予定は一切ありません。
ではなぜ「カミングアウトをするつもりは一切ない」と言うのか?理由が3つあるからです。
- カミングアウトしないということが、そこまで筆者を悩ませていないから
- 楽になれる選択しとして、カミングアウトはないと思っているから
- カミングアウトをしたことで生じる事態の方が面倒なことになりそうだから
一つ前の記事では「カミングアウトできないことが、そこまで筆者を苦しめるものではない」という理由を書きました。
では、残り2つについて、なぜそのように思うのか説明いたします。
楽になれる選択しとして、カミングアウトはないから


カミングアウトをする動機も人それぞれ、理由は異なると思います。なんとなくですが、こんな理由があるからなのかなと察します。
- 打ち明けて楽になりたい
⇒もしかしたら、自身を偽って生活している方もいるかと思います。
⇒本当の自分とは別に対一般社会用の自身を演じるのは、ストレスかと察します。その通りだと思います。 - 打ち明けないと困ることがある
⇒例えばなのですが、望まない縁談や紹介を勧められることもあると思います。
⇒もし回数が多い場合など、紹介された相手にも申し訳ないですね。何より自身が別の自分を演じる必要もあり、ストレスになるでしょう。
これだけなら「カミングアウトすること」は、自身を偽ることがなくなりストレスも軽減され、良いことにしか聞こえません。
しかし、語るには当たり前すぎますが、カミングアウトが引き起こしかねない「良くない環境の変化」も勿論あります。
- カミングアウトが原因による差別/偏見
- カミングアウトが原因によるアウティングの危険性
- カミングアウトが原因による人間関係の変化
- カミングアウトが原因による不利益の発生(例:就職活動の合否、等)
挙げだすと、ぽこぽこ出てきます。ニュースになっていることも幾つかありますね。
LGBTという立場や、LGBTはLとGとBとTだけではないんだよと、いくら世の中に浸透してきたと言っても、差別・偏見はいけないと言っても、まだ実際に不利益が起きる現状です。


いくらカミングアウトしたくても、できない方の方が多いのかもしれません。
筆者がカミングアウトしない理由の一つ「楽になれる選択しとして、カミングアウトはないと思っているから」も、この現状が理由の一端かもしれません。
カミングアウトして楽になるかな?と思うこと
なぜカミングアウトして楽にならないと考える理由を述べる前に、「カミングアウトして楽になりそうなこと」を考えてみたいと思います。


・・・思いつくのは思いつきます。
筆者の生活に関わる全ての方、家族・親戚・友人・知人・同僚等にカミングアウトする前提でお話いたします。
- 自分を偽る必要がなくなる
→ 無理にストレートのふりをしなくても良くなる、ストレートのふりから解放される - 出会いを勧められなくなる
→ 恋愛が絡む出会いを勧められたら、本当の理由(=アロマンティックであること)を伝えて断れる - 独り身のまま、ほっておいてもらえる
→ あの人の人生には結婚はないのかも、と思ってもらえる - 友人との恋愛の話などに共感を示さなくてもよい
→ これまで出来なかった、アロマンティックの立場から恋愛感情について質問できる
※ストレート:異性に対して恋愛感情を抱き、異性に対して性的に惹かれる方(=世の中の大多数の皆さん)
一番聞きたくない言葉・聞き飽きた言葉「まだ出会っていないだけ」「本当に誰かを好きになったことないだけ」を投げかけられることがなくなりそう、これもありがたいことではあります。
そもそも出会いたくないのに、誰かを紹介されて疲れることもなくなります。


こんなことを考えるとカミングアウトしたくなるのですが、でもしません。


日常生活でふと言いたくなる時もありますが、でもカミングアウトは踏みとどまります。
カミングアウトして楽にならないかな?と思うこと
早速、結論から参りましょう。カミングアウトして楽にならないと思うことはこの通りです。


筆者の産み方・育て方を間違えたかもという可能性一片すら母に抱かせたくない。
父を小学生の頃に亡くし、祖父・祖母の助けを得ながら筆者を必死に育ててくれました。
父親がいなくても筆者の生活が一切変わらないように(もちろん、物理的に父はいませんが)、
一生懸命取り計らってくれた母のことを思うと「自身が楽になるかもしれないだけ」のカミングアウトは一気に踏みとどまります。
幸い極まりないことに、筆者の母は「娘の結婚を期待してはいません」「孫も期待してはいません」。


筆者に気をつかっているだけだよ、筆者も当初はそう思っていました。
しかし、今のところ母の言葉は母の気持ちそのもののようです。
結婚はしたかったら、すれば良い。子供ができたら、それはそれで良い。これに尽きます。
良くも悪くも、筆者が結婚できない理由がアロマンティック・アセクシャルとは知らないのです。
単に男性や結婚という様式そのものに、興味がないとだけ思ってくれています。
ここまで育ててくれた母へ「筆者は異性へ恋愛感情を抱くことも、異性へ性的な関心を抱くこともできません」と、
「自分が楽になるためだけを目的に」わざわざ言う必要はないのです。筆者は必要性を一切感じることができません。


恐らく、カミングアウトしたら母は考えるでしょう。筆者がストレートで生まれてきていたら、普通なら悩まなくて良いことを高齢の母に思わせてしまうことになります。


そして、ずっと母は娘のカミングアウトを覚えることになり、ふとした度に思い返して悩んでしまうかもしれない。


産み方・育て方を間違えたかもしれない・・・と絶対に母には思ってほしくない。
筆者としては、これは絶対に避けなければならないことです。
多く心配をかけた分、母には筆者と同居した以上、楽をしてもらわねば困るのです。
といった筆者の気持ちが「カミングアウトしても楽にならないと思うこと」になります。
筆者が楽になっても母が楽にならなければ、筆者にとってカミングアウトに一切意味はありません。
喜んで「まだ出会っていないだけ」と言われ続けます。
カミングアウトをしたら面倒なことになりそうだから


それでは、カミングアウトをしない理由の3つ目「カミングアウトをしたら面倒なことになりそうだから」について説明いたします。
こちらも、家族・親戚・友人・知人・同僚等、筆者に関わる方々全員へカミングアウトするものとして考えます。
些か筆者の中でもぼんやりしているのですが、なんか面倒な事態が起きそうな未来が見え隠れしています。
面倒な事態が何かといいますと・・・
- カミングアウトしたところで、理解を得るのは難しい。
- カミングアウトしたことで、周囲に気を使わせてしまうのではないか。
- カミングアウトしたところで、逆に自身の指向について説明しなければならない機会が増えそう。
- カミングアウトしたことで、望まない紹介が発生しそう。
- カミングアウトしたころで、知人がその知人に言う可能性がありそう。
考えすぎではないかと思うものもありますが、なんか自分に良いことなさそうだな~と思ってしまう方が強いです。
理解の難しさと当事者が望まない理解の仕方
よくこのブログではアロマンティック・アセクシャルの「理解の難しさ」について触れております。
筆者は「恋愛」を「世の中の大多数の方が呼吸と同じくらい至極当然に行うこと」と表現することが多いです。
世の中の人は「呼吸できない人なんているの?」とその存在を疑います。
アロマンティック・アセクシャルも同様に「そんな人、本当に存在するの?」とその存在を疑われるほどに認知度が低く、理解を得にくいとも書いています。
そして、こちらもどこかで書きましたが・・・


個人的には、存在を否定だけされなかったら、理解し難いだろうから理解してほしいとは思っておりません。
- 呼吸できる方からしてみれば、呼吸できない人の方が摩訶不思議であり、なぜそんなこともできないの?と疑問を抱くのも無理ないことです。
- 恋愛できる方からしてみれば、恋愛しない/できない人の方が摩訶不思議であり、なぜそんなこともできないの?と疑問を抱くのも問題ないことです。


摩訶不思議ながらも、人によっては「自身の尺度」をもって「理解」しようとする行動を起こす方もいらっしゃるでしょう。
少し斜めから見すぎな感も否めませんし、自身の尺度をもって理解しようとすることが決して悪い訳ではありません。
しかし、アロマンティック・アセクシャルの認知度は低く、また理解を得にくい指向だであるため、
筆者は「当事者が望まない歩み寄りや理解」が生じる可能性があると思っています。


当事者が望まない歩み寄りや理解とは・・・
- カミングアウトしたのに「人類皆恋愛可能なはずという考えで」恋愛は良いよ、と説明や説得を受ける可能性があること
- カミングアウトしたのに、恋愛感情を抱いたことがない理由は「まだ好きな人に出会っていないだけ」と判断され、異性の紹介を受ける可能性があること
- その他アロマンティック・アセクシャルの間違えた認識・解釈をする可能性がある
カミングアウトしたのにも関わらず、恋愛できる(他者へ性的な関心を抱ける)可能性があることを前提に、話が進むこともあるのかなと思った次第です。
言い方が悪いですが、理解が非常に難しいだけに説明したところで・・・と思ってしまいます。


勇気をもってカミングアウトしたにも関わらず、結局、状況はカミングアウト前と同じ。
個人情報であるはずの指向に関する説明機会の増加
もしかしたら筆者がカミングアウトして、アロマンティック・アセクシャルという存在を知ろうとしてくれる方もいるかもしれません。
興味・関心・理解を示してくださるのは、非常にありがたいことなのですが、筆者的には・・・


思い切ってカミングアウトした。分かってもらえるか分からないことを何度も言うのは少し辛い時があるのかな?
と、我儘発言です。「アロマンティックってこんな人で、アセクシャルはこんな感じで・・・」と、最初は喜んで話すかもしれません。でも、どうでしょう?
筆者としては「恋愛的指向と性的指向が他者と異なることを言う」行為は「非常にプライバシー度の高いもの」だと認識しています。
カミングアウトした責任を取るという意味合いで説明する必要がある時もあるのでしょうが、
何回話しても理解を得られない可能性があること・個人情報を話す行為を複数回行うのは、あまり歓迎できません。
アウティングの危険性
こちらは言葉の通りです。筆者の知り合いには、恐らくそんなことする人はいないと思っているのですが、心配です。


なぜなら、認知度・理解度が低すぎて悪気の一切ない発言が飛び出しそうだから。
これは下記記事でも触れております。


あまりにも、世の中の大多数の方から指向がかけ離れているので、恐ろしいほど切れ味の良い言葉が飛んでくることもあります。
恋愛しない人生はつまらない、という発言を目の前で聞いた筆者。
この発言をされた方は決して嫌な人ではなく、差別的な発言をされる方では決してありません。でも、つい言ってしまうのです。


ということは、鋭い言葉を鋭い言葉と思ってもらえない。つまり、悪気のないアウティングの可能性もあるのか?
アロマンティック・アセクシャルだけに限りませんが、LGBTの中の認知度が低い一角だからこそ、言って良いことと悪いことの区別がどうしても難しく、その発言で傷つく人がいるとは思い至らないことがある。
悪気のないアウティングを心配する生活になりかねないため、なおさら筆者はカミングアウトしようとは思っておりません。
まとめ
筆者にとって、カミングアウトして自身に起きる良い変化より、カミングアウトしたことで自身や周囲に起きる良くない変化の方が際立って見えます。


カミングアウトをするつもりも、予定もありません。
前回の記事でも書いたのですが、筆者は「ただの婚期を逃した売れ残り」として見られています。
直接的に言われたことはありませんが、筆者の普段の素行を見ている方の共通の認識として「彼氏もできない、結婚もだからしない、仕事に生きている売れ残り」なので、基本的にLGBTには見えないようです。


今はそれで良い、それで良いのです。
時には・・・


自身を偽って生きているんだよ、本当は恋愛的にもムフフな感じでも誰にも興味ないんじゃー!
偽る選択は自分でしたくせに、叫びたくなる時もありますが、今のところ筆者に「カミングアウトの選択肢」は「ありません」。