このところLGBTという言葉も世の中に浸透し、LGBTQやLGBTQIA+という別の呼ばれ方もされていますね、と言いながら・・・

LGBTは聞いたことあるけど、「Q」「I」「A」「+」って何?と思われる方も多いのではないでしょうか?
LGBTほどの認知度にはまだまだ至らない「LGBTQ」や「LGBTQIA+」という表現。
と言いますか、なんかもっと長い表現もあるようです。初めて見た時は、当事者側の筆者でも「???」となりました。
これらは比較的若い表現であることは明らかで、それだけ世の中の皆さまからの認知度も低ければ、
当事者本人が疑問を抱きながらも気づけていない現状を指していると感じます。

もれなく筆者も、自身に疑問を抱きながら、圧倒的な情報不足のため自身を認識できなかった人間です。
筆者はうっすらとした知識しかなく、「Q」や「I」ではないと自認しているので、このブログで一つ一つの立場について話すことはいたしません。
では、筆者がどの立ち位置、どのように自身を認識しているかというと「LGBTQIA+」の「A」の部分が自身の立場だと認識しています。
冒頭から突然ですが、これが記事タイトルへの全ての答えですが・・・この記事では、こんなことを考えてみようと思います。
筆者はこの「A」に出会えるまで、時間もかかり、精神もある程度すり減らしました。
誰も好きになった事がない悩み、一緒に考えます アセクシャル/アロマンティック(かも?)とお悩みの方へなぜか誰も好きになったことがない

これまでの人生を事細かに振り返らずとも認識している「私は人を好きになったことがない」。
自身の周囲が当たり前に経験していることを、未だに経験できずにいます。
また、これからも経験できないと、未来のことでありながら確信に近い感覚をもっております。
- 原因がわかりませんが、なぜか筆者には「恋愛感情というものが存在しません」。
- 恋愛感情がないとは違う性質ではありますが、恋愛感情がないと同様に「なぜか筆者は性的に誰かに惹かれたこともありません」。
もう一つ詳しく言うのであれば…
- 異性、同性、その他のセクシャリティーかかわらず、恋愛感情を抱いたことがありません。
- 同じく、異性、同性、その他のセクシャリティー、いずれに対しても性的に惹かれたことがありません。
答えにたどり着くまで30年ほど、筆者は・・・
- なぜ人を(恋愛的に)好きになることができないのか?
- なぜ恋愛感情が自身の中に生まれないのか?
- 周囲の人が言う通り、筆者はまだ出会えていない・本当に好きになったことがないだけなのか?
- 私は女性で異性である男性を好きになるはずなのに、なぜできないのか?
- 男性に対して恋愛感情を抱けないからと言って、女性に対して恋愛感情を抱くわけでもない、誰に対しても抱けないのはなぜか?
こんな自身への疑問・ストレスと一緒に生きてきました。
筆者にとって、恋愛感情=摩訶不思議

世の中の方ほとんどが、至極当然に抱く恋愛感情という感情。
詩人になるのであれば、恋愛感情が発展して、愛となって誰かとご縁があり、子孫を紡いでいく・・・
こんなのが世の中の常でございますよね。人類発展の歴史と言ったら良いのか。。
少数派として生活されている方にも、立場にはよりますが、恋愛感情が存在している方が多くいます。

ただ筆者は、自身よりどう引きずり出そうと七転八倒しても、恋愛感情というものが発生しません。
恋愛感情を抱いた状態がどのような状態なのか想像しかできず、しかもその察しが正解かどうかわからない。
また恋愛感情を抱いたと想定して、自身がどのような感覚になるのか、全くもって想像ができません。
些かステレオタイプが過ぎるかもしれませんが、よくこんなこと聞いたりしました。(ドラマや周囲の話がソースです)
※恋愛感情が分からないと言っても、人を恋愛的に好きになることを否定する意図は一切ありません。
- 仕事が手につかなくなる?
→個人差あるのでしょうか、仕事のミスは大丈夫なのでしょうか・・・
→筆者は恋愛より、仕事でミスしないかどうかの方が非常に気になります。 - いつでもその人のことを考えてしまう?
→人生、他に考えなければいけない事柄はあるような気がするのですが・・・
→四六時中ではないのは理解していますが、そんなに考えてどうするのか不明です。 - すぐに会いたくなる?
→なぜそんなに会いたいのか?さみしいのか?単純に会いたいのか?
→筆者も友人とは会いたいですが、恐らく毛色の違う感情なのでしょう・・・ - 別れを告げられたら泣いてしまう?
→泣くくらい辛いことなのですね・・・それくらい好きだったという証明なのでしょうか?
→筆者がフラれた時、何も感じなかった理由は「好きではなかったから」なのでしょう。
恐らく恋愛感情を抱ける方がこれを見たら「何言ってんだ?」とか「なんか違和感がある」、「そういうことを言っているのではない」など、お言葉を頂くような気がします。
それくらい、筆者にとって恋愛感情とは摩訶不思議で理解や心からの共感が難しいのです。

特に厳しいのか、彼氏・彼女と別れた友人へ言葉をかける時です。
数少ない友人、これからも仲良くしてもらいたい友人を傷つけないために、何とか少しでも支えられるよう言葉をかけたいけど・・・
- 恋愛感情が原因による痛みが何も分からない
- 友人にかける「正解の言葉」が分からない
- 恋愛感情を持っている人が言うであろう「正解の言葉」と今から言おうとしている「自分の言葉」が一緒か分からない
- 自分としては「考えに考え抜いた言葉」を発したとしても、それが友人を傷つけることになり得るのか分からない
結果、筆者が何をするのかと言ったら「友人より泣いたり」「友人より怒ったり」「友人より悲しんだり」するのです。
(酷い話ですが)空あくびで涙を出して、感情があらぶる演技をもって、その場をしのぐ。若い筆者はこんな行動をとることが多くありました。
今となっては、カミングアウトはしていなくとも、筆者という人間を分かっているれている友人ばかりですので、こんなことはしませんが、でも間違えたことを言わないか未だに不安です。
無理やり人を好きになろうとした過去

周りの人が当たり前にできること、していることができない状態は、自分がどこかおかしいのではないかと思い込んでしまう事態に陥ります。

基本的に、みんな好きな人ができて付き合っている・・・告白しようかな?って迷っている子もいる。

皆、誰かを好きになっている。好きになった人いないし、できたことないけど、自分が変なのか?それとも、本当にまだ出会っていないだけ?
こんな状態が永遠と続くもので、筆者の考えや行動はこのような感じになっていきました。
- この人の素敵なところ、良いなと思えるところを何とか探し出そう。何かあるはずだ。
- もし好感を持てるところがあったら、きっと好きになれるはずだ。
- だって、最初は好きじゃなくても何かいいなと思うことがあって、誰かを好きになることあるんでしょ?
意図的?意識的?に男性を恋愛対象として見るように・見られるようになろうと取り組んだ時期もありました。
全て虚しい努力となり、思い返してみても苦笑してしまいます。
ましてや、恋愛感情を持てるように「取り組む」なんて、アロマンティックではない方からしてみたら苦笑いでございますね。
しかしながら、筆者と関わりのある周囲の人は見る限り、人を好きになることが問題なく・当たり前にできる人のようです。
こんな人たちに囲まれて過ごすと「やはり自分がおかしいのではないか」としか思えない筆者も過去におりました。
誰かを恋愛的に愛することが非常に困難

どんなに良いところを見つけようとして探しても、良いところを見つけられたとしても、恋愛感情を抱くには至らない。
なぜ筆者はこうなってしまったのか?何が原因なのか?どこかお医者さんへ行った方が良いのか?
こんなにも皆が当たり前に・困難を抱くことなく出来ることをなぜ私はできないのか?と疑問やストレスは積もっていくばかり。
その当時、自認に至らず悩んでいる筆者からしてみれば、一応お付き合いも経験したし、お別れも体験して、恋愛の真似事みたいなことはしているつもりでした。
しかし、どうも全て自身に起きている現実としての実感が足りない、足りていない。
自分の身に起きているはずで、自分の感情や考えで動いているはずなのに、他人事感・第三者感がとても強い。
好きと言われてお付き合いしても、おデェトなんかしてみても、別に高鳴る心もなければ、どちらかと言うと自分の時間を削られて煩わしい。(酷い)
「付き合っている感じがしない」と言われてお別れしても「了解しました。今まで時間を割いてくれて、ありがとう」これ以上の感覚はなく、悲しいとか辛いとか感じたことがないし、感じられない。


更に酷いことをいうなら、やっと自分の時間を取り戻せてスッキリしたくらいの感覚すらありました。
原因判明 – アロマンティック・アセクシャル
靄を払いきれないままズルズル年を重ねてきました。恋愛感情を抱くために、抱けるようになるために、悩みに悩んだ〇〇年。
ふとした瞬間、何のご縁かわかりませんが、知ることができた「アセクシャル」という単語。


一気に今までの疑問が解決しました。(気付いた流れは下の記事の通りです)
幾度となく検索してはきたのですが、検索の方法がダサかったのか筆者の目に留まることがなかった、「LGBTQIA+」の中の「アセクシャル(アロマンティック・アセクシャル)=A」の世界。
正確に言うのであれば、「他者に対して恋愛感情を抱かない、アロマンティックの世界」と言うべきですね。


アセクシャルとアロマンティックて違うの?どういう意味?


アセクシャルではなく、正しくはアロマンティックってどういうこと?
アセクシャル=アロマンティック・アセクシャルとして言われる傾向がある(あった)のは、日本ならではの表現でして、正しい意味合いはこの通りです。
- アセクシャル:他者に対して、性的な関心を抱かない性的指向
- アロマンティック:他者に対して、恋愛感情を抱かない恋愛的指向
筆者が最初に出会った言葉が「アセクシャル」。
意味としては「他者に対して、恋愛感情/性的な関心を抱かない」=「アロマンティック・アセクシャル」と書かれていたと思います。
日本ならではの表現でアセクシャルが扱われている情報を見たようです。
しかし、正しく伝えるのであれば「誰かを好きにならない=誰かに恋愛感情を抱かない」指向を指す言葉は「アロマンティック」です。


人を好きにならない人が存在しても良い・存在を許される世界。アロマンティック・アセクシャルを知ってから、実に心は晴れわたりました。
では、冒頭で書いたこんな疑問への回答を書いて参りましょう。
なぜ人を好きになることができないのか?難しいのか?
筆者は恐らく幼少期から、言い過ぎかもしれませんが生まれた時から「アロマンティック・アセクシャル)だったのだろう」と思っています。
他者へ恋愛感情を抱かず(=アロマンティック)、かつ他者に性的に惹かれない(=アセクシャル)の筆者にとって「人間として好き以外の好き」を抱くのは難しいことでした。
もう少し正確に自身の状況を表現するならば「難しい」というより「今も/これからも、無理・不可能」と言った方がしっくりきます。


他者に対して恋愛感情を抱かない「アロマンティック」である可能性が浮かびます。
あくまで可能性、あまり言いたくはないのですが、もしかしたら「本当に出会っていないだけ」だけかもしれません。しかし悩んでいるご本人が・・・
- 「他者に対して恋愛感情を抱かない」と思っている
- ご自身の現在の状況を表す立ち位置として「アロマンティック」が心地よい/しっくりくる
このように思っていたら、アロマンティックを止まり木にしても、勿論良いのです。
また、過去に恋愛感情を抱いたとしても、現在の状態を鑑みて自身をアロマンティックと言うことにも、何ら問題はありません。
更に言えば、アロマンティックだから「誰かを好きになってはいけない」訳ではありません。将来、誰かに恋愛感情を抱いたら、それはそれで良いのです。
恋愛感情がない・恋愛感情を他者へ抱けない理由はあるのか?
なぜ恋愛感情がないのか、なぜ恋愛感情を誰かに抱けないのか、理由はここまできたら明白で「アロマンティック」だったからに尽きます。
では「なぜアロマンティックになったのか」「なぜアロマンティックとして生まれたのか」、アロマンティックの原因を探し出したい方もいるかもしれません。
筆者は先天的なものと思っているので、自身については原因を探すつもりはありません。


だって、こんな感じ(=アロマンティック)で生まれたから。


恋愛感情を抱かないことが自分にとっての通常運転だから。
同性愛の皆さんも「理由はないけど、同性の女性が好き」「同性の男性が好きなのが自分である」のように「だって、そうなんだもん」と理由を求めない方がいらっしゃるでしょう。
アロマンティックも同じです。
ただ、なぜこんなこと(=アロマンティック)になってしまったのかと、理由を見つけたいと、深刻な悩みを抱えている方がいる可能性は決して否定できません。
同じく、過去の辛い経験が原因となり、後天的なアロマンティックとして生きている方もいらっしゃると思います。
幸い筆者は自身がアロマンティックであることを困難なく受け入れた方ですが、自分がスタンダードではないと認識し、気を付けなければいけません。


自分が世の中のスタンダードではない(=恋愛感情を抱けない)と悩んでいましたからね。
少し話がそれましたが「恋愛感情がない」「恋愛感情を抱くのが難しい」という疑問を「アロマンティック」が全て解決できるわけでもありません。
デミロマンティック、ご存知でしょうか。筆者は詳しくありませんので、詳細をあーだこーだ言うのは避けようと思います。


悩んでいる方を余計悩ませることはしたくありません。
デミロマンティックの方は、恋愛感情を滅多に抱かないそうですが「強い絆・信頼関係」のような繋がりがある方に対して「稀に恋愛感情を抱くこともある」そうです。


アロマンティックとデミロマンティックとの間で悩まれている方、揺れ動いている方もいらしゃるのかなと察します。
ちなみに筆者は、自身を「デミロマンティック」ではなく「アロマンティック」であると言い切れる、確信に近い感覚があります。
私は「デミロマンティック」ではなく「アロマンティック」だと断言できると言っても、今のところ差し障りはありません。
なぜなら、信頼している方や繋がりがあると認識した方と過去お付き合いしても、一定期間お付き合いが継続しても、恋愛感情は生まれなかったからです。


まだ出会えてないだけかもよ、とは筆者にはおっしゃらないでくださいね(笑)
時間が経てば、いつか誰かを好きになることができるのか?
時間が経てば、恋愛感情を抱く方ができるかもしれないし、引き続きできないままかもしれない。


なんと冷たい答えかと思いますが、基本的にこれ以外言いようがありません。
自身の指向について悩んでいる方が、自身の指向について思いをはせる時は、
「過去の自分」と「現在の自分」の気持ち・あり方を考えるのであって、未来のことまでは勘定に入れないと思います。
過去と現在の自分の気持ちを考えて、自身の立ち位置を見つけ出すのであり、変わるかもしれない未来の自分を入れるのは、なんのこっちゃわからなくなります。
セクシャリティーは揺らぐもので、今「アロマンティック」だと自認しているからと言って、未来までもアロマンティックであり続ける必要はさらさらありません。決まりもありません。
こんな理由から、最初の「時間が経てば、恋愛感情を抱く方ができるかもしれないし、引き続きできないままかもしれない」という言葉がでてきます。


こんなことを言いましたが、前述した通り、筆者としては「アロマンティック」のままだろうと断定に近い気持ちではいます。
まとめ




恋愛感情を抱かないセクシャリティーが存在して、アロマンティックと呼ばれています。
自分が今まで疑問に感じてきたことへの答えは「アロマンティック」だったから、これに尽きます。
- なぜか誰も好きになったことがない←アロマンティックだったから
- 恋愛感情=摩訶不思議←アロマンティックだったから
- 無理やり人を好きになろうとした過去←アロマンティックだったから、無理なことをしていた
- 誰かを愛することが非常に困難←アロマンティックだったから
アロマンティックとは多くの方にとって理解し難い立ち位置かと思います。
同じ少数派であるはずの、LGBTQIA+に身を置く方でも理解が難しい立ち位置でもあります。
しかし一方、アロマンティックへの理解が難しいのと同様に、アロマンティックだと自認する筆者にとっては、同じくらい人を好きになる・人を愛することが、理解し難く大変困難なことであります。
ぼやきですが、今になってみると、アロマンティックと自認する方の占める割合は少数の中でも少数のようですので、なかなか自分と同じ立場の人なんて見つけにくいですよね。