
「恋愛感情を誰にも抱かない/抱けない」同様に「性的な関心を他者に抱くなんて、恋愛感情がないのに無理でしかない」。
そんな自分は世の中の普通から「外れた存在」であり、矯正しようとしても、努力をしても、なぜかどうしてもできない。
そんな自分が意味不明すぎて、七転八倒を時にはしていた筆者ですが「アロマンティック・アセクシャル」であると、自身を認識することができました。
自認から数年経過していますので、ネットでの情報の見つけ方や検索の仕方は慣れていくものです。


アロマンティック・アセクシャルを自認後、なんとなくネットで目に留まるのが「愛情」やら「スキンシップ」やらという言葉。
よく(アロマンティック)アセクシャルの特徴!みたいな記事があると思いますが、この2つを見かけることが割合多くあります。


はて?なぜだろうか??
なぜアセクシャル(=アロマンティック・アセクシャル)の特徴として「愛情」や「スキンシップ」が記載されるのか、頭の上にハテナがくるくる回る時もありましたが、
よくよく思えば・自身のことを顧みればすぐに納得できました。


確かに、なるほど。疑問に思われたり、自分でも悩んだりしたかもしれない。
この記事では、アロマンティック・アセクシャルにとって「愛情」と「スキンシップ」に対する想いに焦点を当てて、書いて参ります。


こんな疑問や悩みに回答できる記事になればと思っております。
- アロマンティックは他者に恋愛感情を抱かない人だから、愛情のない人なのか?
- アセクシャルは他者に対して性的に惹かれない人だから、スキンシップが苦手なのか?
- アロマンティック・アセクシャルを自認/かもしれないけど、自分は愛情のない人なのだろうか?
- 知り合いにアロマンティック・アセクシャル(かもしれない人)がいるけど、近づかない方が良い?
- 知り合いがそのようだけど、人間に興味がないの?絆は存在しないの?
アロマンティック・アセクシャルとは、どんな人?




筆者の立ち位置はこちらの記事で記載した通り、アロマンティック・アセクシャルであると自認しております。
簡単にもう一度どんな世界で生きているのか、どんな指向を持った人なのかを書きたいと思います。
- 他者に対して、性的に惹かれない性的指向を「アセクシャル」。
- 他者に対して、恋愛感情を抱かない恋愛的指向を「アロマンティック」。
- 他者に対して、性的にも惹かれず・恋愛感情も抱かない方を「アロマンティック・アセクシャル」と呼びます。
アロマンティック・アセクシャルを説明するには「他者へ恋愛感情を抱かない恋愛的指向」・「他者へ性的に惹かれない性的指向」この2つの恋愛的指向と性的指向の存在が必須です。
初めて、恋愛的指向や性的指向と聞かれた方は「???」かと思いますが、アロマンティック・アセクシャルがどのような指向か説明するためには欠かすことはできません。
なぜなら、「どのような恋愛的指向の持ち主なのか」と「どのような性的指向の持ち主なのか」、この2つの恋愛的/性的指向の組み合わせで、
アロマンティック・アセクシャルがどんな立ち位置にいるのか説明することができるからです。
こちらの記事でそれぞれの「恋愛的指向」と「性的指向」について、詳しく解説しております。


恋愛感情を抱かないって、そんな人が存在するの?と思われる方も多いでしょう。
しかし、アロマンティック・アセクシャルは、人数こそ少ないですが筆者のように確実に世の中に存在しております。
(今の時代、SNS覗いたら、悩んでいる方を含めて見つけることは簡単です。でも、身近にはいない・・・)
筆者はこの世に生まれて早幾年、人を好きになったことも、性的に誰かに惹かれたこともありません。
参考までに、日本においてはアロマンティック・アセクシャルをアセクシャルという単語一つで示すことが多くあるようです。


アセクシャル=アロマンティック・アセクシャル、こんな感じです。
しかし、アセクシャルの本来の意味は「他者に対して性的に惹かれない」であり「恋愛感情を他者に対して抱かない」ことは含まれません。
このブログではなるべく、アロマンティックというべき箇所はアロマンティックと表現するようにいたします。
アロマンティック・アセクシャルにも親愛・友愛は存在する
アロマンティック・アセクシャルについて検索してみると、下のような表現を目にすることがあります。


筆者なりに、その表現をまとめますと・・・
アロマンティック・アセクシャルだからと言って「冷たい人間」や「愛がわからない人間」という訳ではありません。
彼らにも「愛情」は存在しています。友人や家族へ向けられる「友愛」や「親愛」という「愛情」は彼らにもあるのです。
実際に「人を好きにならないってことは、愛情が分からないのか?なんて冷たい人間だ」と、
こんな事をおっしゃる方がいるのか少し疑問なのですが、疑問に思われることは不自然なことではないと当事者でも思います。


しかし・・・恋愛感情抱けても、冷たい人なんて世の中にたくさんいませんか?
と、捻くれた筆者は思ったりもしますが、「恋愛ができない=人を愛することができない=愛情がわからない/持てない冷たい人?」という式は、ふと「そうかも??」首を縦に振りそうになります。
ならば筆者も冷たい人であることになります。情はあまりない人間ですので、そうなのかもしれませんが、あえて反論いたしますと・・・
アロマンティック・アセクシャルである筆者ですが、ネットで見かける情報と違うことなく「家族への愛情」や「友人への友愛」みたいなジャンルの愛は存在しています。家族も好きですし、友人も好きです。


このジャンルの好きなら、いくらでもこの口からスルスル出てきます。


親友の○○ちゃーん好きよー。母さま好きよー。
友人への友愛・家族への親愛は筆者から、いとも簡単に、むしろ意図せず自然発生します。
(恋愛感情もこんな感じで意図せず自然発生するのでしょうか?)
アロマンティック・アセクシャルを自認されている他の方も、友愛・親愛は抱く、筆者のような方が多いのではと思っています。


しかし、なぜ恋愛感情の伴った愛情が、自身に芽生えないのか不思議でなりません。
家族や友人への「好き」が、自身が悩んできた・抱けない「好き」と全く異なるものとは重々理解しています。
逆に家族に対して、自身が悩んできた「好き」という気持が芽生えたら、大変なことになるのも当然のこととして理解しています。
「好きの種類」が違うのは分かっているのですが、どうしても家族・友人への「好き」以外の「好き」が一切合切生まれません。


恋愛感情やそれに付随する愛情が生まれたことは一回もありません。
アロマンティック・アセクシャルはスキンシップが苦手?


スキンシップがアロマンティック・アセクシャルの人は苦手、というような表現もこれまた時々目にします。
スキンシップが苦手かどうかは、アロマンティック・アセクシャルでも人それぞれ、
アロマンティック・アセクシャルではない人も人それぞれ、であることは周知の事実ですが・・・
筆者について言えば「スキンシップは非常に苦手」であり「その通りです」と感じます。


分かりやすいかも?と思う所で、他者に対して性的な関心を抱かない「アセクシャル」を例に挙げてみます。
アセクシャルは他者に対して性的に惹かれません。
例えば、単純なスキンシップだったとしても、何も期待していないスキンシップであったとしても、
その先にあるであろう更なるスキンシップを連想して、こんな感覚をスキンシップに対して持たれる方もいるのではないでしょうか。
- 嫌悪感を抱く方
- 興味がなさすぎて、する意味を説いてほしいと思う方
- 単純に自身にとっては必要性がないから不要と思う方
筆者の事を言えば、強弱がありますが全て該当します。
スキンシップが性的なスキンシップへ発展する可能性がある想定で書きましたが、
性的なスキンシップの可能性がない相手でも、単純に自身にとってはする意味がわからないし、
自身にとっては必要性もないから触らないでほしいと思う方もいらっしゃるでしょう。
色々お考えがあると思いますが、アセクシャルがスキンシップをなぜ苦手とするか、
苦手ですよね?と言われて筆者が否定的な考えが浮かばない理由は、このような理由があるからです。
筆者も基本的に単純なスキンシップを含めて、スキンシップ(身体的な接触)は非常に苦手です。
触られる・意図しない身体的接触でも筆者は苦手




基本的に触らないでほしいと常に思っている筆者ですが、スキンシップの対象によって、許容範囲は大きく変わります。
当たり前なのかもしれませんが、特に親友(同性)と母については寛容な方です。
しかし!!異性・同性・仲の良さに関わらず、寛容である対象・寛容であるべき対象であっても、人に触られるのが非常に不快な時があります。
誰しも知らない人に触られるのは嫌だと思うのですが、筆者の場合、これが仲の良い同性の友人や筆者とお付き合いしてくれていた方に対して、起きることかあります。


恋愛感情がを抱いたことがないのに付き合った?というツッコミは自身に何度もつっこんでおりますので、今この場ではお流しください。
寛容である対象・寛容であるべき対象からであっても、筆者が希望しないスキンシップが生じてしまった時、筆者に何が起きるのかと言いますと・・・
- まず、触られた場所がジンジンとした不快な波に襲われます
- それが右腕だとしたら右腕がワナワナ震えだします
- 思わず振りほどきそうになったりします。(実際振りほどいたことは、ないと思います)
バスで隣に座った方の肘が当たった場合など、ごくごく瞬間的でその後、繰り返しがない場合(=我慢する時間が短いと思われる場合)はこのような事は起きません。
(・・・長い腕で羨ましいです、とは言いそうになります。)
しかし、我慢しなければならない時間が長そうな時や「触らないでほしい」と言いにくい・離れにくい時はこのような感じになります。
振りほどくなんて失礼と、我慢に我慢を重ねたその先にあるのは、膨大なストレス・不快感と、つい拳を握りしめ強めに腕が動きそうになる衝動です。
勿論、実際の行動に移したことはありませんが、行動を取りそうになる前に、トイレへ逃げたり、なんとか柔らかく体を離すようにします。(時にはひたすら我慢で白目をむいています)
特に指でさすられることが筆者は大嫌い
スキンシップの対象によって許容範囲は異なるけど、スキンシップが苦手なんだなと、これまでの記載で思っていただけたと思うのですが、
本当にこれはどうしても許容できないキンシップが一つ。母にも許していないスキンシップが一つ。
本当に気持ちが悪くて許せないのが、指でさすられる?なでられる?ことです。


意味が分からないと思いますので、例を挙げるますと・・・
例えば恋人が隣り合わせで座っている。
彼氏と彼女が手をつないでおり、彼氏が彼女の手の甲を手をつなぎながら、指でなでている。
指でさすっている場所は手の甲でも肩でも場所は関係ないのですが、筆者にとっては、おぞましいことこの上ない。ただただゾッとします。
言葉を選ぶ必要があるので、これくらいの書き方をしますが、本当はもっとよろしくない言葉を使用したいくらい気持悪いのです。
家族含め、誰であったとしても本当に無理です。


指でさすられることへのおぞましさは、こちらの記事で詳しく書いてあります。
この事実は自分が忘れたトラウマがあるのかどうか、不明です。
初めて気持ち悪いと認識した記憶はあるのですが、なぜにここまで嫌いなのかは不明です。
まとめ
恋愛感情が伴う愛情を抱かないアロマンティックですが、「親愛」「友愛」については、世の中の皆さまと同じように感じていますし、存在しています。


筆者本人は冷たい人間とみなされても、特に苦痛は感じませんが、嫌だと感じるアロマンティック・アセクシャルの方もいると思います。
その方の人間性を知らずに「冷たい人間」とおっしゃる方は心無い方と筆者は認識していますが、こんな方、稀極まりないと考えております。
そんな方のほうが「冷たい人間」なのかとも思います。
一方「スキンシップ」については、アロマンティック・アセクシャルであっても、許容範囲は個人により大きく異なるのではと思います。
苦手と一切思わないアロマンティック・アセクシャルもいるでしょうし、筆者のように苦手と思う人もいるでしょう。
アセクシャルの部分がスキンシップに対して、不快感や抵抗感、違和感を生んでいるのかもしれません。


アセクシャルの方に実際会ったことも話したこともないので、気になるところです。
前述した通り、「家族への親愛・友人への友愛」といった愛情は存在しますので、一概に愛情がない人とはできれば言わないで頂けたらと思います。


しかし、恋愛感情が絡む愛情・恋愛感情から発展する愛情は抱きません/抱けません。
「友愛・親愛」と「恋愛が絡む好き」の種類が異なるのはアロマンティック・アセクシャルも良く分かっているつもりです。
恋愛ができない=人を愛することができない=愛情がわからない/持てない冷たい人?ではありませんです、とだけはお伝えいたします。
筆者はスキンシップは基本的に苦手です。
しかし、スキンシップの対象によって許せる範囲が大きく異なります。恋愛感情を抱かず、性的にも惹かれない当事者たちにとっては、
- スキンシップをする意味がわからないから、したくない
- このスキンシップの先にあるかもしれない、スキンシップを考えると耐えられない
- スキンシップをする必要性が自身にはないから、したくない
- 軽いものでも嫌悪感が先立つ
人によって程度の差は大きくあると思いますが、こんな感じで苦手に感じる方もいるでしょう。筆者はかなり該当します。


恋愛的に人は好きになれないけど、友達や家族は好きだー!!
友達は好きですか?ご家族は好きですか?もし、好きならあなたにもしっかり愛情は存在しています。


・・・人によります、よるはずです。
アロマンティック・アセクシャルではなくても、いきなり触ったりしたら驚いたり、嫌だなと思う人は多くいると思います。
まずは、皆さんが思う通常の接し方をしていけば良いのではないでしょうか。
もし距離感が近すぎと感じていそう・苦手そうにしていたら「おっと、間違えた」とするのが、
アロマンティック・アセクシャルであっても、そうではない方であっても、基本的な接し方かと思います。


筆者はあまり興味がありませんが、絆はあると思っております。
筆者には「母との親愛と言う名の絆」、「友人との友愛と言う絆」・・・書いてて恥ずかしくなる表現ですね。
いずれにしても「親愛」・「友愛」という「愛情」を介しての「絆」は存在していると思います。
全ての絆が恋愛感情がないと築けない絆ではないはずです。