自己紹介
アセクシャルブログの筆者、アセブロです。京都市民のアロマンティック・アセクシャル(AroAce)です。
- AroAceとしてのアセブロ
- 自認してからX年。恋愛感情・性的な関心を抱かないことXX年。AroAceと出会えて、人生が本当に楽になりました。
- セクシャリティは移ろうと言いますが、私の場合は、最期までAroAceだろうと確信に近いものがあります。
- AroAce関連で悩んでいる方・親しい方がAroAceの方向けに、AroAceに関する情報を発信中。
- 京都市民としてのアセブロ
- いやらしい言い方をしたら、碁盤の目の中にずっと住んでいます。
- 日常生活で、観光でいらした方が迷っている姿をよく見ます。
- 観光でいらした方・京都観光を予定している方向けに、京都のガイドブックを目指して情報を発信中。
- 一個人としてのアセブロ
- 極めてインドア派。家が大好き。数少ない友人をなくしたくない一心で外出可能。
- 人付き合いは、できたらしたくない。でも、しないと社会性に問題が生じるので頑張っています。
- 嫌だったこと・不快だったことは、何年前のことだろうが覚えている。されたことは忘れない。
ブログでお伝えしたいこと
このブログでは、大きく分けて3つの分野の情報を発信しています。
- アロマンティック・アセクシャル (=AroAce)
- 京都観光・旅行
- 京都の占い処
AroAce
アセブロは「アロマンティック・アセクシャル (=AroAce)」であると自認しています。
30歳すぎに初めて「アセクシャル」という言葉を知り、その後「アロマンティック」という言葉を知り、初めて心のモヤを晴らすことができました。
雑な性格なので日付は忘れましたが、私のもう1つの誕生日だと思っています。
人生で一度も「他者に対して、恋愛感情を抱いたことがありません=アロマンティック」、また「他者に対して、性的な関心を抱いたこともありません=アセクシャル」。
- AroAceのカテゴリーでは「悩み」や「辛さ」など自認前・自認後の「いち当事者の体験」をお伝えします。
- この体験が、悩んでいる方・他のAroAceの情報を知りたい当事者の方・近しい人が悩んでいる方の心のモヤを少しでも晴らせる事ができたら、と思っています。
京都観光・旅行
アセブロは「京都」に住んでおり、日ごろ観光でいらした方をよく目にする京都市民です。
そして「京都市バス」をよく使う京都市民です。そのせいか「迷っている方」をよく見かけます。
でも、なかなか声をかけられない性格。ならばブログでと思い「地元民目線」で「迷わせない」京都観光案内を目指しています。
- 京都のカテゴリーでは京都について、地元民だからこそ知っている・感じる情報を発信します。
- また「京の宿」「観光地情報」など一般的な旅情報から「お土産情報」もお伝えします。
京都の占い処
アセブロもですが、大なり小なり人は「不安」や「不満」「悩み」を抱えながら生きています。
中には、知り合いには相談できないような悩みや、プロの目線からのアドバイスが欲しい悩みがあります。
悩みを抱えた方が京都に来ることは、珍しくありません。京都の寺社仏閣は、観光スポット以外にも「パワースポット」としての側面をもっています。
- 京都の占い処のカテゴリーでは、京都にある占い処の情報を発信します。
- 占い処の近くにある、パワースポットも紹介します。
しょうもない悩み
AroAceという立場と出会い、ある程度、心の霧は晴れました。と言いつつ・・・
- 誰にもカミングアウトするつもりはないので、結婚は諦めた女としてふるまっています。そう認知もされています。親戚にとってもアンタッチャブルな話題になりました(笑)
- カミングアウトしないと言いながら、言ったらどうなるのだろうと、ふと思ってしまいます。
結婚していく友人たち、楽しそうにしているカップル、目にします。ふと・・・
- 自分も当たり前に人を好きになれたらなあ、と勝手に傷ついてみたり、砕け散れーと思ってしまいます。
- なぜ自分がAroAceとして生まれたのか?自分でなければいけない理由はあるのか?他の人では駄目だったのか?と未だに思うことも。
恋愛の話題になったとしても、話をあわせる事には慣れ、苦痛もありません。と言いつつ・・・
- やはり自分は人とは異なると自覚させられます。
- 話を合わせることに慣れすぎて、とてもノリの良い人になってしまいました。本当はミジンコの欠片も興味がありません。
迷惑は最小限に、一人で人生を終えられるよう、準備が必要です。親のことも同様です。まずは一人でなんとかしなければ・・・
- 面倒ですが、これは仕方ないことです。できることを今からコツコツ積み立てていくだけです。
- パートナーとか頼れる人がいたら良いと思う時もありますが、理由あって筆者はパートナーを求めていないので、よけいに仕方ないことです。