彼氏への嘘とお別れ – 自身にアロマンティック・アセクシャルの診断を

彼氏への嘘とお別れ – 自身にアロマンティック・アセクシャルの診断を 社会人 (自認)

アロマンティック・アセクシャルという言葉・指向と出会えたのはこの上ない喜びだったのですが、

自身の指向が明確になればなるほど、筆者にメガトン級の重さでのしかかる彼氏とのお泊り旅行。

自身の人生に関わること、また彼氏との今後にも大きく関わることなので、色々な意見が欲しくなります。

相談サイト・お医者さんに相談してみましたが、残念ながらあまり参考になったとは思えませんでした。

せっかく頂いたご意見が参考にならなくて、困ったな、と悩んでいても、容赦なく淡々と時間は過ぎていきます。

自分の指向を自覚していくほど、今までの疑問がスルスル解決していくほど、

日ごとに「自身の指向」と「彼氏とこれからしようとしている行動」の「落差」を自覚すれども、

どうしようもない・どうにもできない日々が流れます。

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それでもカミングアウトは難しい

お付き合いすればするほど信頼感は増し、人間として好感をもつように筆者はなっていましたが、

アロマンティック・アセクシャルという存在を知ることで、増していった「信頼感」や「人間としての好感」は「恋愛感情ではない」ということがわかりました。

自身がアロマンティック・アセクシャルである事実を受け入れました。

なるほど、やはり恋愛感情は抱いていなかったのか、とてもすっきりした、と感じました。

彼氏・彼女という関係性が生まれる原因と、その関係性が継続できる理由が「(恋愛的に)好きだ」という気持ちがお互いに存在し、

「恋愛的に好きだという気持ち=恋愛感情をお互いに向けあう・向けられ合う」ことならば、

今お付き合頂いている男性は、もはや彼氏という呼び方は適切ではなく「筆者の事を気にかけてくれて、時間と労力を割いてくださる、とても有難い方」としか言えなくなりました。

その男性が筆者に対して恋愛感情を向けてくれていただけで、筆者には恋愛感情が存在せず、筆者の恋愛感情がその男性に向けられることは決してないからです。

筆者とその男性は、一体どんな関係なのだろうと大きい疑問を抱えつつ、しかしながら待ち構えているお泊り旅行。

人間としてはとても信頼している男性に対し、誠実でありたいと思う気持ちが働きます・・・しかし。

え、ちょっと待って。誠実にありたいって、それってカミングアウトってこと?

お泊り旅行を回避するために、自身の指向を伝える?かなりの重大決断では?

言ったとたんにお別れでしょ。ふられるでしょ。さよならでしょ。

自身の指向の自認とカミングアウトの必要性と男性に対して誠実でありたい気持ちとお泊り旅行で筆者、大混乱。

結局、お泊り旅行当日朝になっても、二人で電車に乗って目的地に向けて出発してもなお、本当のことは言えませんでした。

なんだったら、お泊りするホテルの部屋に入った後も言えずにおりました。

まず筆者にはこんな気持ちがありました。

  • お別れを惜しむくらいには、その男性に対して抱く信頼感は強くあった。
  • その男性に対して、誠実でありたい気持ちは本当にあった。

こんな気持ちをふまえて、カミングアウトを真面目に考えましたが、どうしてもこんな気持ちに落ち着いてしまいました。

誠実であるということは、自身の指向をカミングアウトすること。

  • カミングアウトは恐らく男性との別れと同義であること。
  • しかし、これまでの方と少し違って、別れを惜しむくらいの人間関係はできていた。
  • だから、言いだしきれなかった。

カミングアウトするということは、自身の指向を打ち明けること。

  • この短い期間で知った自身の指向を打ち明けるのには、まだまだ勇気が足りない。
  • 彼氏と呼んでいた男性を信頼していた。しかし、嘘偽りなく真実を言ったそばからさようならの可能性があり、そして実際に別れた場合、一生黙っていてくれるだろうか、不安だった。

人間として信頼していると言いながら、カミングアウトへの不安を抱き、

言ったら別れる以外ないであろう筆者自身の指向と反発しあう別れを惜しむ未練、

こんな気持ちが原因でお泊り旅行が始まっても、筆者は何も言えませんでした。

カミングアウトはできないが、嘘はつける

電車に乗っている時・テーマパークで一緒に歩いている時・ご飯を食べている時・閉園時間になってホテルに向かっている時、チェックインする時、ホテルの部屋に入った時、

全ての時間において筆者の頭の中には「今晩どうしよう」という言葉が存在していました。

心の底から楽しんだ瞬間はありませんでした。しかし、やはり時間は筆者の気持ちを無視して進んでいきます。部屋でお酒を飲みながら会話をしていましたが、先に男性がお風呂に入りました。

逃げられない。避けられない。どうしたら良いかわからない。

この後、何が起きるのかは十二分に分かっている。

今ここでカミングアウト?別れへの未練も今回存在する、しかも旅行中。

しかも自身でカミングアウトする機会をすべて逃してきたのは自分。

・・・・・・。

男性がお風呂から出てきました。

筆者は腹をくくって嘘をつきます。

簡単にまとめると、こんなことを言いました。

過去、望まない体験があった。それが嫌な記憶としてまだ残っている。今まで言えなくて本当に申し訳ない。

酷い嘘をつきました。

そのような体験をされて苦しんでいる方がいるはずなのに、嘘の材料としてしまいました。

カミングアウトせずに、別れずに。筆者がその時一番都合よく一晩越せる方法、そして筆者のことを大事にしてくれている男性が動けないであろう方法、非常に汚い方法を選択しました。

そして更に酷いことをしました。

一緒のベッドで寝ようと言われて嫌だったのですが、負い目があり了承しました。

しかし、大丈夫だと言って本当に優しく気遣ってくれる男性の息が筆者に吹きかかるのが耐えられず、

筆者の体に男性の体が当たるのが許せず、特に筆者の肩に男性の顔が乗っかる?くっついているのが血管千切れんばかりのストレスとなり、

おぞましさで全身ワナワナ震え、一緒に寝るなんてまったくもって無理になり、一人で寝たいと言って別のベッドに筆者だけ移りました。

ほぼほぼ寝られなかった夜が明けて

人間として信頼していると言いながら、筆者が寝たら何かされるのではないかと心配になり、ほぼほぼ寝られなかった夜が明けました。

酷いことをしたと自覚しながら、旅行2日目が始まります。

男性は嘘をつく前と変わらず優しくしてくれます。何も態度が変わることはありませんでした。

本当に良い人だと思いました。

しかしこの感情が恋愛感情ではないことは、自身の中ではもはや周知の事実。

  • ここまで良くしてくれる方に対して、信頼・尊敬・感謝の気持ちは十分にあれど、それが恋愛感情とは呼べるものではないこと。
  • 信頼・尊敬・感謝の気持ちが、恋愛感情が発生する原因に間違いなくなってくれないこと。
  • 信頼・尊敬・感謝の気持ちが、恋愛感情へ変わることはないのであろうという確信。
  • 信頼・尊敬・感謝の気持ちが、男性との身体的な接触・スキンシップをしたいと思う/許せる/受け入れられる、という気持ちを呼び起こす原因には間違いなくならないということ。
  • むしろ信頼・尊敬・感謝の気持ちがあるにも関わらず、引き続き男性との身体的な接触・スキンシップはしたくない、という気持ちしか抱けないこと。

ここまでしてくださる男性に対しても、筆者の気持ちは変化しない。

これだけのことをしてもらえても、筆者には恋愛感情が一切生まれない。

筆者が性的に惹かれることは決してない。

残りのお泊り旅行は、筆者と余所余所しくない程度に身体的に距離を取ってくれる、どこまでも優しくしてくれた男性と問題なく過ごしました。

彼氏とのお別れ

見出しの通り、結局は別れました。ふられました。

お泊り旅行から1年数か月たった頃だと思います。

ちょうど筆者の生活が大きく変わろうとしていた時期を理由に合う頻度を下げていました。ラインの返信も1-2週間は間をおいてしまう程度にもなっていました。

既におぼろげな記憶となったところも多いのですが、思い出してみて少し驚きと、申し訳なさを覚えました。

アロマンティック・アセクシャル自認してから、そんなに付き合っていたんかい。

失礼とは思わなかったんかい。

非難や苦言は全ておっしゃる通りです。今でも申し訳ないと思っています。

しかし、なぜに会う頻度が下がり、ラインの返信(基本毎回お互い長文でやり取りします)が遅くなっていったのかというと、こんなことが理由かと思います。

  • 筆者は男性に対しての信頼や尊敬の気持ちがなくなったわけでも、減ったわけでもありません。ただただ気持ちは一定です。
  • 理由は何かと言われたら「別れ際のスキンシップ(=ハグやキス)が受け入れられない/耐えるのが面倒」だから。
  • 男性が筆者に割いてくれる時間と気にかけてもらっている気持ちと同じ気持ちを返したくとも、同じ質と同じ量の気持ちを返せず、罪悪感と申し訳なさが更に育ってきたから。

こんな状態では誘ってくれる男性に対して失礼かつ申し訳ないことで、解放してあげてと言われたら反論できない状態なのも同じくらい感じていたのですが、

それでも筆者自身から別れを切り出すことはありませんでした。

信頼と尊敬だけでは足りない

会う頻度が減り、会うこと自体がストレスと感じることがあっても、逆になぜ1年以上もお付き合いしている状態を保ち続けたかと言うと、

思い出すに自覚した後もこんなことを未練がましくも思っていたからだと思います。

  • 嫌になったから別れたい、訳ではない。
    →むしろ、人間としては今でも変わらず信頼・尊敬の念を抱いている。
  • 他に好きな人ができたから別れたい、訳ではない。
    →アロマンティックなので、まずあり得ないと思っている。

そしてもう一点、もしかしたら筆者の心のどこかに

「カミングアウトしたら、もしかしたらアロマンティック・アセクシャルの筆者をこの男性は受入れてくれるかもしれない」

という甘えがあったのかもしれません。あったのでしょう。

まぁ、こちらの甘えは何気なく言った男性の発言で一瞬にして崩れ去ります。

一緒に食事をしている時の話です。LGBTについて色々調べてくれていたようです。

もしかしたら、ノンセクシャルって言うのかな?

・・・そうかもね~確かに。私もノンセクシャルかもって思ったりした~(大嘘)

そっか!でも、アセクシャルじゃなくて良かった!アセクシャルは無理だからね。

ソウダヨネ~

捻くれた、かつ失礼な考察ですが、筆者のいつになっても変わらない態度に対して、カマをかけたのかもしれません。

LGBTを調べた結果アセクシャルについて知り、純粋に抱いた感想を言っただけなのかもしれません。

しかし、いずれにしても「アセクシャル(恐らくアロマンティック・アセクシャルを指して言っていたと思います)の筆者を受け入れるつもりはない」という宣言を聞きくことになりました。

心の中では・・・

やっぱり、そうだよねー普通そうだよねーそう思うよねー

嘘をついてきた自分がいけないのは承知だけど、やっぱり無理なんだねー

信頼・尊敬だけの気持ちでは、この関係を維持できないのか、普通そうか。。。

どんなに信頼していると言っても、尊敬していると言っても、人間として好感を抱いていると言ったとしても、「(恋愛感情としての)好き」には敵わないことが良くわかりました。

会うのを避けた理由とそれでも関係を続けようとした理由、色々ありましたが、男性から言われた最後の言葉は・・・

もう一歩、お互い歩み寄れたら良かった。残念ながらできなかった。

最後まで気をつかってくれたのか、歩み寄れなかったのは筆者だけなんです。

筆者は信頼・尊敬・感謝の気持ちを間違いなく抱いた人だったと今でも本当に思っていますが、この気持ちだけでは足りなかったようです。

自身にアロマンティック・アセクシャルの診断を下す

男性とのお別れを経て、再度自己分析を行いました。自身の気持ちを整理して、アロマンティック・アセクシャルとして生きようと覚悟しました。

ご注意

  • あくまで、筆者の自身の自己分析と自信に対してのみの自己診断です。
  • 診断という言葉を使用していますが、本来診断できるのはお医者さんのみです。
  • また、セクシャリティーは誰かに診断されるものではなく、最終的には自認するものだと思っています。
  • 誰かに助言を求めたい、あなたのセクシャリティーは〇〇じゃないと聞きたい気持ちは十二分にわかります。勿論、聞くことが悪いわけではありません。
  • 覚悟なんて書いていますが、筆者にとっては人生の方向性を定める決定だったので、強めに書いています。
  • セクシャリティーの自認に覚悟が必要なのかどうかは、人それぞれです。

悩みに悩んだ過去があり、まさかお付き合いしている最中に認識し、そして男性と別れた後に自己分析した筆者。

ここからは自分のどんな感じ方・考え方をもって、自分をアロマンティック・アセクシャルだと自認したか、その理由を考察していきます。

  • アロマンティック:他者に恋愛感情を抱かない恋愛的指向を持っている人。
  • アセクシャル:他者に性的な関心を抱かない性的指向を持っている人。

誰かを好きになった事がない筆者はアロマンティック?

これまで筆者はこんな事で悩んでいました。

  • 恋愛感情を抱いた事がない。
  • 人間としてしか好感を抱いた事がない。
  • 信頼感や安心感、尊敬の念は抱くし、その気持ちは強くなることもあるが、それが恋愛感情に変わることはない。
  • また、信頼感や安心感、尊敬の念は恋愛感情を抱く原因にもならない。
  • なぜ、みんな簡単に恋愛感情を抱けるのか意味が分からない。
  • 恋愛感情がどのような感情なのか分からない。
  • このような悩みを抱えているのは周囲を見渡しても筆者一人だけ。
  • 一人だけなので、どう考えても自分がおかしいとしか思えない。
  • 相談しても「あり得ない」「まだ出会っていないだけ」「本当に好きになったことがないだけ」という回答であり、その回答がどうしても納得できない。
  • 恋愛感情を抱かない人間なんて存在しないとしか思えない世の中であること。

個人としては、本当に悩んだのです、悩んでいたいのです。

恋愛感情を抱けない「はずがない」と主張する世の中で、なぜ自身だけ恋愛感情を抱くことができないのか、本当に意味が分かりませんでした。

これらの悩みは「アロマンティック」との出会いで全て消し去られました。

アロマンティック:他者に恋愛感情を抱かない恋愛的指向

正確に言えば、まず出会った言葉は「アセクシャル(アロマンティックの意味合いも含まれて説明されていた)」でしたが、

本当に清々しいほどに全て一気に消し去られ「恋愛感情を抱かない人も世の中には存在するという事実」が嬉しくて嬉しくて仕方なかったのは、いくつかの記事でも書いた通りです。

恋愛感情を抱いた事がない。

  • 筆者がアロマンティックだったから。

人間としてしか好感を抱いた事がない。

  • 筆者がアロマンティックだったから。

信頼感や安心感、尊敬の念は抱くし、その気持ちは強くなることもあるが、それが恋愛感情に変わることはない。

  • 筆者がアロマンティックだったから。

また、信頼感や安心感、尊敬の念は恋愛感情を抱く原因にもならない。

  • 筆者がアロマンティックだったから。

なぜ、みんな簡単に恋愛感情を抱けるのか意味が分からない。

  • 筆者がアロマンティックだったから、恋愛感情を抱く世界に生きている方々(=ロマンティック)の理解が難しかった。
  • ロマンティックの方々が恋愛感情を抱かない世界(=アロマンティック)の理解・認知が難しいのと同じです。

恋愛感情がどのような感情なのか分からない。

  • 筆者がアロマンティックだったから。

このような悩みを抱えているのは周囲を見渡しても筆者一人だけ。

  • 「アロマンティック」の存在が一定程度は認識され、ネットで検索したら現在のようにすぐに検索結果に出てくる時代ではなかったから。

一人だけなので、どう考えても自分がおかしいとしか思えない。

  • 今でも同じですが、世の中「他者に対して恋愛感情を抱く方々」が「大多数」を占めているから。
  • 自身が恋愛感情を抱かない側である、と気づいていない/気づけていない人が一定程度いる。自身の周囲に同じ状態の人いたとしても、お互い気付きにくいため。
  • アロマンティックは当事者でも気づきにくいセクシャリティーだから。

相談しても「あり得ない」「まだ出会っていないだけ」「本当に好きになったことがないだけ」という回答であり、その回答がどうしても納得できない。

  • 少し棘のある嫌な言い方ですが、恋愛感情を抱く人がアロマンティックの理屈を理解し難いのと同じです。
  • アロマンティック側からしても、ロマンティックの理屈を理解し難く、回答してもらえても納得できなかったのでしょう。

恋愛感情を抱かない人間なんて存在しないとしか思えない世の中だ。

  • 世の中の大多数が、他者に対して恋愛感情を抱き、また何の問題もなくその感情を抱くことが可能な方々で形成されているから。

誰かを好きになったことがない筆者はアロマンティックだったのです。

彼氏と会いたいと思わない筆者はアロマンティック?

勿論、彼氏と呼んでいる男性の事が嫌いになった訳ではありませんが・・・

  • 彼氏とは別に会わなくても問題なし、特段会いたいとも思わないが、付き合っているという状態からすれば、大問題なのだろう。でも、会わなくても良い。
  • 会わなくても問題ない状態だから、彼氏と会う時間を作る方がストレスである。
  • 会ったとしても、デートがタスク(=業務・義務)としか思えない。早く帰りたい。
  • こんな酷い事を思っている筆者のことを大事にしてくれる彼氏、に大変申し訳ない気持ちで一杯になるが自信を是正できない。

普通・・・という言い方は良くないのでしょうが、一般的に彼氏・彼女という間柄だったとして、会わなくても良いと思ったら、それはお別れに相当するのではないかと思います。

筆者だって友人から似たような事を言われたら、お別れを想像します。

(もしくは逆にわざわざ会う機会を作らなくてもよくなる関係=結婚か?なんても思いますかね)

いずれにしても、彼氏と会いたいと思わない・別に会わなくても良いという状態は、別れが近いことを容易に想像させる状態です。

でも、筆者は決して嫌いになってはいない。でも会わなくて良い・・・理由を考えてみました。

彼氏とは別に会わなくても問題なし、特段会いたいとも思わないが、付き合っているという状態からすれば、大問題なのだろう。でも、会わなくても良い。

  • (恋愛的に)好きになった相手に会いたいと思わせるのが恋愛感情ならば、筆者はその感情を抱いていなかった。
  • 恋愛感情を抱いていなかったから、会わなくても問題ないと思ったのかもしれない。

会わなくても問題ない状態だから、彼氏と会う時間を作る方がストレスである。

  • 一人で自身の時間を思うように過ごすのが何より好きで、ストレスフリーと感じる性格も影響しているかと思います。
  • 結局気持ちとして優先されたのは、彼氏ではなく自身のためだけに時間を使いたいという気持ちだった。

会ったとしても、デートがタスク(=業務・義務)としか思えない。早く帰りたい。

  • 自身が思うように過ごしたい気持ちが最優先なので、彼氏とのデートは自由にできない不自由な時間という認識を持っていたのだろう。

こんな酷い事を思っている筆者のことを大事にしてくれる彼氏、に大変申し訳ない気持ちで一杯になるが自信を是正できない。

  • 申し訳ないと思う気持ちは本当だが、筆者は自身の指向を曲げようとは思わなかった/思えなかった。
  • 自身の指向を曲げると自分がおかしくなると思ったから。

まず、彼氏と会いたいとは思わない=アロマンティックという方程式は暴論が過ぎることは明らかですね。

ただ、アロマンティックであることが要因の一つとして、彼氏と会いたくないはあり得るかもしれません。

前述しましたが「(恋愛的に)好きになった相手に会いたいと思わせる作用」が恋愛感情にあるならば、

恋愛感情を他者に抱かないアロマンティックの方々は、自認前後に関わらず彼氏・彼女がいた場合、別に会わなくても大丈夫という判断が下される可能性もあるのかもしれません。

ただ、アロマンティック・アセクシャルだと分かっていて、受け入れてくれている方とお付き合いしている場合、こんな場合は当たり前ですが、上に書いた限りではなくなるのかもしれませんね。

ちなみに、「別に会わなくても問題ない」「特段会いたいとも思わない」と思ったのは、もう一つ筆者の「一人大好き」が影響しているのかもしれません。

もしかしたら、一人大好きの方の影響の方が強いとすら思える時もあります。

同じ気持ちを返せない筆者はアロマンティック・アセクシャル?

恐らくお付き合いしてくださった男性は、筆者の事を恋愛的に好きであり、性的な関心も寄せてくれていたと思います。

彼氏・彼女の関係になった時、「恋愛的に惹かれ合い」かつ「性的にも惹かれ合う」のがおかしいと言う方はまず少ないかと思います。

筆者だって付き合っているなら、そんなもんじゃないの?友人と話す時は言うとと思います。

何が言いたいのかと言いますと、彼氏・彼女の関係になった場合、「恋愛/性的に惹かれ合うのが通常」という前提が発生する、ということです。

自身がなぜか受け入れられなくとも、こんな前提がおかしいとも思わないし・思えない筆者はこんなことを悩んでいました。

彼氏が筆者によせてくれる、同じ「量」かつ同じ「質・種類」の愛を返せずストレスを感じる。負い目を感じる。

彼氏は筆者に対して「恋愛感情」や「恋愛的な好きを介した愛情」を「筆者を好きだと思ってくれる分」渡してくれていました(いたと思っております)。

しかし、筆者はまず「恋愛感情を返せない」、なぜなら恋愛感情を抱いていないから・恋愛的に好きにはなっていないから。

返せるのは「良い人だと筆者が感じている分」の「人間としての好感」のみ。

彼氏のことを良い人だと思っている分、自分の事を大事にしてくれていると感じる分、ありがとう・人間としてとても好感を持てます、という意味合いの気持ちしか返せません。

この気持ちは彼氏が筆者に抱いてくれているだろうと推察する気持ちと、異なる質であり、またその量も異なります。

自身の事を好いていてくれる方に対して、大事にしてくれている方に対して、恋愛感情を前提とした彼氏・彼女のお付き合いであるにも関わらず、

異なる量と質でしか気持ちを返せないのは、ただただ申し訳なく感じていました。

そして同時に失礼にもストレスであるとも思っていました。

同じ気持ちを返せない原因は、別に気になる人ができたから等いろいろあるかもしれませんが、

筆者の場合は恋愛的にも性的にも他者に関心を抱かない指向の持ち主だった為、

彼氏が抱いてくれている気持ちと自身の気持ちに大きな落差があり、辛さと申し訳なさを覚えたからになります。

恋愛感情と性的な関心を返せなかった筆者は、アロマンティック・アセクシャルでした。

彼氏からの恋愛的・性的な期待に応えられない筆者はアロマンティック・アセクシャル?

勿論、期待に応えられない理由は人それぞれ色々あるのが前提ですが、筆者はこんなことで悩んでいました。

  • 妙な距離感(物理的にも心の距離も含めて)は悟られているだろうが、基本的には「嫌っていない言動」を取るため(勿論、嫌いではない)、筆者が実は望まない接触や感情の表現をされることがあり、とても煩わしい。
  • 彼氏が求めることを筆者自身が受け入れられないのは分かっている、でも決して嫌いではないため、こんな気持ちを抱いてしまう申し訳なさと負い目、実際耐えなければならないストレスの複合技になる。

嫌いではないので、嫌な態度はまず取れません。

恋愛感情や性的な愛情を正確に表現できていないかもしれませんが、

「恋愛的に好き、かつ性的にも関心がある→もっと知りたい・大事にしたい・スキンシップを取りたい」の構図が筆者には全く存在しません。

ご参考までに筆者にどんな気持ちが発生するのかというと・・・

人間として好感をもつ→良い人だと思う→人間としての好感が強まる(終了)

人間として尊敬し信頼することもあります。

しかし、人間として好感を抱くのみに気持ちは永遠に留まり「もっと知りたい」「大事にしたい」「スキンシップをしたい」とういう気持ちの発生源にはなりません。

そして、そもそも筆者はスキンシップが苦手な方でもあります。基本的に触られたくないと思う人間です。

  • しかし、筆者でも「恋愛的に好きかつ性的にも関心がある→もっと知りたい・大事にしたい・スキンシップを取りたい」の構図が、恐らく恋愛感情や性的な愛情を抱く方々の間では普通だろうという事は分かっています。
  • 彼氏・彼女の間柄で「もっと知りたい」「大事にしたい」「スキンシップをしたい」という言動が相手から飛んでくるのは自然なことであり、受け入れるのが恋愛感情や性的な愛情がある間柄では普通なのだろうと察することも一応できます。

でも、筆者の本当の心(自認前でも後でも)が、恋愛感情や性的な愛情があるお付き合いに全くついていけないし、ついていこうとも思わない。

察することはできるけど、共感も理解も難しい。

でも、お相手からの気持ちに筆者が応じないのは不自然なんだろうとは思うから、自身は一切望んでいなくてもお付き合いしたいならは耐えなければならない事である。

嫌いでは決してない相手を傷つけないため(実は傷つけないためだったなんて男性に対しても失礼なことなのですが)にも、耐えなければならない時がある。

筆者の心の真実は違えど、彼氏・彼女という、恋愛感情や性的な愛情がお互い存在している前提でお付き合いしてもいます。お相手は筆者がこんな悩みを抱いているなんて考えもしていないでしょう。

察する気持ち・決して嫌いではない気持ち・(自認前でも)本当の自分の気持ちが大ゲンカ、耐えたらストレス、逃げたら申し訳なさ、いずれにしても良いことは一つもありませんでした。

こんな筆者と付き合わなければ、普通の彼女だったら、こんな事で悩ませることはないのに。。。

なぜなら、世の中には筆者が出来ないこと・逃げてしまうこと・耐えなければならないことを何の苦もなくできる人たちの方が圧倒的に多いからです。

筆者は恋愛的・性的な期待に応えられないアロマンティック・アセクシャルですが、恋愛的・性的な期待に応えられない人はすべからくアロマンティック・アセクシャルである、とは言えません。

なぜなら、性的な期待に応えられない理由は過去の辛い出来事が原因、という事もありえるからです。

しかし、筆者の場合について言ったら、どこまで行っても時間が経っても「人間として好感を持つ」としか思わない人間です。

人間として好感を持つなかに、どんな人なのか?という他者への興味・関心という気持ちは幾ばくかありますが、「もっと知りたい」「大事にしたい」「スキンシップをしたい」という気持ちは一切含まれません。

少し余談です。

甘い雰囲気と言えば良いのでしょうか、恋人・パートナー間で発生するような甘い雰囲気ですが。。。

筆者は耐えられません。本当に無理です。

甘い雰囲気が出そうものなら、ゲスい笑いにでも走ってその場の雰囲気を破壊しないと、その場にはいられないくらいには嫌いです。

恋愛感情・性的な関心を寄せられたくない筆者はアロマンティック・アセクシャル?

前の「彼氏からの恋愛的・性的な期待に応えられない」にも関連していると思うのですが・・・

「恋愛的・性的な期待に応えられない」から「恋愛感情・性的な関心を寄せられたくない」のは間違いありません。

「気持ちを寄せてもらえても答えられないもの」「答えるには自身の心の消耗と場合によっては耐えがたきを耐える覚悟が必要なもの」は勝手なことを言えば、こんな感情として筆者の中で処理されます。

  • 気持ちを向けられても、困る。
  • 気持ちを向けられても、困る。なぜなら私自身がその気持ちを真に理解・共感できないから。
  • 自身が理解も共感もできない気持ちを向けられることは、理解不能な感情を許可なく向けられたものとして処理され、心地の良いものではない。
  • 恋愛感情や性的な関心は存在として認知しているが、自身にとっては理解不能な感情である。自身に向けられたその手の感情は決して心地の良いものではなく、いくら気持ちを寄せてくれたとしても答えることは不可能である。
  • いくら気持ちを寄せてくれても自身が答えられないし、またその気持ちは筆者にとって心地よくないものであるから、ただただいたたまれない。
  • むしろ、気持ちを寄せられるほど筆者は離れていくだろう。なぜなら困ってしまうから。

筆者、他の立場の方々についてはあまり詳しくないのですが、こんな立場の方もいらっしゃいます。

  • リスロマンティック:他者に恋愛感情を抱くが、その相手から恋愛感情を抱かれることを望まない恋愛的指向
  • リスセクシャル:他人に対して性的な関心を抱くが、性的な感情を抱かれたくはない、という性的指向

筆者は他者に対して「恋愛感情」も「性的な関心」も「抱きません」ので、リスロマンティックでもリスセクシャルでもないのかと思います。

でも、リスロマンティック、リスセクシャルの方は、なぜ自身に感情が向くことを望まないのでしょう?

こんなことを考えていた時、結果はいつも言う人それぞれに落ち着くと思うのですが、

アロマンティック・アセクシャルである筆者は「嫌悪感」までいかなくても「気持ちを向けられたら困る・いたたまれない気持ち、時にはお返しできない罪悪感」を抱きます。

まとめますと、恋愛感情・性的な関心を寄せられたくないだけでは、アロマンティック・アセクシャルとは断言できません。

ただ、恋愛感情・性的な関心を寄せられたくない理由が、恋愛感情や性的な関心は存在として認知していても、

「それは理解不能な感情=自身にはない感情=他者に対して恋愛感情を抱き・性的に惹かれる状態」であることから、筆者は自身をアロマンティック・アセクシャルだと思っています。

自認への葛藤・・・は別段なかった

アロマンティック・アセクシャルとつるっと自認した筆者です。

筆者が自身のセクシャリティーを自認した時、恋愛には一生ご縁がなかったと認めた時、

人類の大半が進むであろう人生の通常ルートには進めないし、進まないと認識した時、葛藤があったのかと言いますと…

ちなみに人生の通常ルートについてはこちらに書いています。

筆者の場合、葛藤はなく「このまま(=恋愛感情を抱かない状態・性的な関心を抱かない状態)でも良いのかと、安心した」。葛藤は「なかった」が事実です。

筆者的には、恋愛感情・性的な関心を他者に抱けない状態を「悩みに悩みぬいた」と思っており、恋愛しようしても結果できない自身に精根尽きていました。

これ以上頑張れる余白は当時も1ミリも残されていませんでした。

ちなみに今もその余白は1ミリも残されていませんし、伸びる気もしなければ伸ばそうともしておりません。

アロマンティック・アセクシャルという立ち位置を筆者は大層気に入っております。

これまでの疑問を解決してくれた、納得できる自身の立ち位置なのでなおさらです。

アロマンティック・アセクシャルという存在の情報を得る事ができた瞬間、やっと居場所を見つけられたという喜びの方が強くありました。

ふざけて書いたわけでは一切ありませんが、他の記事でも書いた通りの喜び方です。

セクシャリティーの自認と受入について、筆者は葛藤はありませんでした。

覚悟と未練

しかし、アロマンティック・アセクシャル自認への葛藤はなかったと言っても、何の考えもなしに自認して受け入れたわけではありません。

何を自認の際に思ったのかと言いますと・・・

恋愛の「諦め」と一人で生きること・生き抜くことへの「覚悟」。

なんか偉そうに書きましたが、この道(=アロマンティック・アセクシャルとして生きる道)を選択するのであれば、

また、この道から恐らく自身はそれることはない確信があったので、覚悟は決めたつもりです。

今まで恋愛(ひいては結婚や家庭を持つこと)を諦めきれないという未練を抱えながら、お付き合いしては別れを繰り返していました。

しかし、その未練もストレスの頂点を極めている状態になり、自認した際にお付き合いしてきた彼氏と付き合う際(アロマンティックをまだ知らない状態)に、

この人で駄目だったら、恋愛は私の人生にはなかったものとして生きていこうと決めてお付き合いしました。

そんな決心と共にお付き合いを開始し、アロマンティック・アセクシャルを自認、彼氏から別れを告げられ、再度アロマンティック・アセクシャルであることを確認し、アロマンティック・アセクシャルとして生きることを覚悟する。

この経緯は筆者にとって「恋愛の諦め」と「一人で生きる覚悟」と同じ意味でした。

アロマンティック・アセクシャルだからと言って一人で生きる必要はないのでは?と思われたあなた。優しい方です。

しかし筆者、実は同じアロマンティック・アセクシャルの方であっても、パートナーは求めておりません。

しかし、パートナーは求めんぞと言ってきながら、覚悟を決めた今でもなお、未練は時々発生するのが困ります。

パートナーがいたら違うのかな、心強いのかな、なんてまだ未練がましく思ったりします。

結婚して出産している友人・知人・親族を見ると、未だにいいなと思う時もあります。

まだこんな風に思うのかと愕然としながら、心がざわつくとき、多くあります。

羨ましい・人生の通常ルートへの未練、確かに辛いと思う時がありますが、実際人生の通常ルート進めるよ!さぁ、どうぞ!

と言われても、この記事を通して書いてきた事が理由で間違いなく筆者は進まない・進めないのでしょう。

イケメン・スタイル良し・高収入・お勤め先安定・性格良し・ご両親性格良し・筆者の母といきなり同居可の異性である男性が両手を広げておこしなさ~い、とまぶしくて目がくらむような笑顔で筆者を待っていてくれても、

筆者の目がくらむのは金だけで、金だけおいてお帰りください、になる気がします。

  • 覚悟そして覚悟、なんて書きましたので念のために書きますが、アロマンティック・アセクシャルであり続ける必要はありません。
  • 一度自認したセクシャリティーを一生受け入れる必要はありません。
  • 今、居心地が良いから、またお試しで休憩場所にしても、当事者がそれで良ければそれで良いのです。
  • 立ち位置に固執する必要は一切ありません。一生立ち続ける義務も一切ありません。

まとめ

さて長くなりましたが、やっと自認まで書くことができました。長かった、長かった。

自認に至るまで本当に辛かったです。筆者の場合、情報がなさ過ぎた時代を生きてからの自認でしたので勝手に長く感じています。

アロマンティック・アセクシャルって何?

私のこと?私のことだ!

・・・彼氏とのお別れ、そして覚悟。

書いた通り、アロマンティック・アセクシャルである事実は筆者にとって受け入れがたい事実は全くありませんでした。

しかし現在について考えると、色々な情報が手に入りやすいが故に、溢れるような情報量に踊らされたり、

間違えて情報を記憶してしまう(例えば、アセクシャルだと自認したら、一生アセクシャルで居続ける必要があると思ってしまう)こともあるのでしょうね。

そのため、疑問や不安を抱えながらも受け入れにくい事実として、現在進行形で悩んでいる方もいらっしゃるかと察します。

全てのセクシャリティーをカバーすることは勿論できないことですが、アセクシャルやアロマンティック関連でお悩みの方に少しでもこの記事、ブログが参考になればと思います。

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