恋愛ありきの世の中? – アセクシャルは人生つまらない!? ①の二本目です。
一本目では、同僚との何気ない日常会話の中で発生した「恋愛しないって、人生つまんなくないですか?信じられない」という発言に至るまでの、
「会話の流れ」や聞いた瞬間「筆者が思ったこと」「なぜそんなことを言ったのか」を書き綴りました。
こちらの二本目では、もう少しなぜそんな発言に至ったのか・筆者が心を落ち着けた後に考察してみたことを書いて参ります。


「人生つまらない」と筆者個人へ発せられた言葉ではないのに、非常にドッキリとしました。
ある程度は「アロマンティックではない方から、こんなこと言われる可能性はある」とわかっていたのに、いざ言われたら心がざわざわしました。
「人生つまらない?」という発言に至った経緯
ざっくり、会話の流れをおさらいでございます。
職場のみんなでお昼ご飯を食べていた時のことです。
- とある同僚さんが「最近の若者は恋愛をしない」「アセほにゃららという、人を好きにならないタイプの人がいるらしい」という内容のテレビ番組を見たと話してくれました。
- 恋愛をしない、人を好きにならない事へ対して、別の同僚さんが「恋愛しないって、人生つまんなくないですか?信じられない」とご発言。


おっと、あなたの目の前に野生のアロマンティック・アセクシャルが!
という話の流れです。そりゃ、筆者が当事者だと知っていたら、このような発言はなかったと思いますが、知っているはずないので仕方ないことです。
そして、その場にいたのは筆者以外「人生の通常ルート」を進んでいる「既婚・お子さんあり」の皆さまでした。


納得済でも色々諦めたアロマンティック・アセクシャルの筆者が、少しばかりの羨望と嫉妬を含めて言います。
「恋愛・結婚・子供=人生の通常ルート」この全てを現実の出来事にできる皆さん=「異性に対して恋愛感情を抱き、性的に惹かれることができる方々」と筆者は勝手に定義しています。
発言に至った理由と筆者が感じたこと




まず「恋愛しないって、人生つまんなくないですか?信じられない」と発言された同僚の方について、批判的に思うことは何一つありません。これは今一度明確に記載いたします。
人生つまらない発言をその場で聞いた時は、
- そりゃ、自分にとってはあり得ないことだろうから言ってしまうんだろうな~
- 個人ではなく集団に対しての「人生つまらない」発言なのに、悪気なく言ってしまうんだよな~
- 誰かが傷つくなんて、思いもしないんだろうな~
悲しみ・諦め等、色々な感情が渦を巻きながら、こんな風に感じていました。
では、時間をおいて「なんであんな良識のある方がそんな発言に至ったのかな?」と考えた時、理由としてたどり着いたのはこちら。
- 世の中の大多数の方が息を吸うが如く、恋愛感情を抱くことができるから。
- 恋愛感情を抱かない方が極めて不自然だから。


結局は、筆者が発言を聞いたそばから考えた理由と大差はありませんでした。
しかし時間も経ったので、もう少し言葉を整理して伝えるのであれば「そんな発言をした理由は」こんな感じなのかなと思いました。
恋愛感情を持つこと=呼吸すること
- 人間として活動するために意識せずに行っている呼吸。当たり前に無意識にしている行動。
- 無意識にしているものだけど、しないと生きていくうえで命取りになるもの。
恋愛感情を抱ける方からすると、恋愛は呼吸をするくらい自然なことであり当たり前すぎることなので、まず基本的に「恋愛感情を抱かない人がいる」とはなかなか思い至らない。
「恋愛感情を抱かない人がいるかもしれない」と可能性のレベルですら、難しいのでしょう。
(勿論、知識や人間関係により人によるのは言うまでもありません)
恋愛感情を抱けない人・抱かない人の存在は、何も発言した同僚の人だけではなく、世の中の大多数の方を含めて、存在が遠すぎますね。
まず「呼吸をしない人=恋愛感情を抱かない人」がいるなんて、またそんな人がいるかもしれないとは可能性の段階でも想像にも及ばないし、認識も難しいことだと筆者はそう思います。


筆者もこれくらい低い世の中の温度の状態で、なんて非常識なご発言でしょう!撤回なさい!となんて思いません。
でも、同性愛の方にも同じことを言いますか?


同性に対して恋愛感情を抱く恋愛的指向の方、恋愛感情を抱かない立場をとっている方を比べるのも、ちょっと違うような気もしますが、お話します。
例えば「同性に対して恋愛感情を抱くとは、人生つまらなくない?信じられない」と言った方がいるとしましょう。
恐らく、同性愛の方(何度も例に挙げてすみません)に対しては、アロマンティックに対して「人生つまらない」とおっしゃった同僚の方も「そんなこと言えない。そんなことを言う方が信じられない、失礼だ」となるはずです。
やっぱり例として適当ではないと思いつつですが、同性愛の方には「そんなこと言うなんて信じられない」となっても、アロマンティックには「そんなことをつい言ってしまう」のです。
アロマンティックという存在の認知度の低さから、当事者が傷つきかねない発言を意図せず余裕でしてしまうのが現実であり、社会への浸透度の低さを当事者としては見せつけられています。


自身の指向について情報を発信することも超絶個人的なことなので、言いたくとも留まる方も多いでしょう。


母数が少ないほど、どうしても発信力は弱いですね。。。
何度も申し上げますが、そんな現状ですので筆者個人の感覚としては「何てこと言うんですか、失礼でしょ!」とまではなりません。
ちょっと愚痴です


そりゃ思いましたよ。私も恋愛してみたい!好きって言ってみたい!


皆さんができるように、私だって恋愛感情を抱いてみたかった!でも、できないのです。
(実際できるとなったら、恐ろしく戸惑う自分しか見えませんが・・・)
アセクシャルやアロマンティックという言葉が世の中の皆さんにまだまだ認識されていない中、
どの口で「人生つまらない」なんて言わないでくれ、目の前に当事者がいるんだよ、いるかもしれないんだよって言えば良いのか。。。


極論でしょうが、同性愛の方には言っては失礼で、アロマンティックには言ってしまう、この2つの間に何の違いがあるのでしょう・・・
勿論、同性愛の方も思うことはたくさんあり、時間と労力を費やして社会の認知度や理解度を高めていらっしゃいました。
その結果が一定の理解と情報の浸透を生んだということは、わかっているつもりです。
アロマンティックやアセクシャルは社会へ向けた認知や理解への歴史が浅いので、どうしてもこんな結果になってしまいます。
まとめ


同僚のみんなとの楽しいお昼時間だったはずが「恋愛しないって、人生つまんなくないですか?信じられない」発言を受けて、筆者の心は軽微なダメージを受けました。
まず「なんでそんな発言をしたのかという理由」を考えたら、
- 世の中、恋愛感情を抱かない/抱けない方が圧倒的に少ないこと。そのため、気遣うことが省略されてしまうから。
- 恋愛感情なしの人がいるかもと、想定にも至らない。とにかく自身の世界から縁遠すぎるから。
では「発言をされた方は何を思っていたのか」と考えたら・・・


恐らく、何も考えていなかったと思います。単純に自分の感想を言っただけ。
個人や集団を差別する意図も、傷つける意図も間違いなく一切ない。
恋愛感情を抱く多数側の人(自分が多数派とも思っていないでしょう)として、ただただ「自分の感想を言っただけ」、「恋愛しないなんて人生つまらないのでは?信じられない」と言っただけ。
嫌な言い方ですが、良くも悪くも、何も考えずに思いのたけを述べただけ。


本当にただの感想だった、に尽きるのでしょう。
ちなみに、筆者は今回の出来事を受けてこんな感じに思いました・思っています。
まぁ色々ご意見あるでしょうが、筆者は恋愛感情抱けないけど、自分の人生は楽しんでいますよ。


人生の通常ルートを進む方とは、楽しみ方が違うかもしれないけど・・・
「人生つまらない」なんて、そんなこと言わないで、悲しくなるな~と、しょんぼりします。


でも、これが世の中の普通の反応だと、批判のしようのない反応だと、よくわかります。
アロマンティックでも人生つまらないことはないですよ。


でも、味わえないこともあるのは事実です。少し悲しい?さみしい?うらやましい?と思います。
恋愛、できるものならしてみたかった。


でも、はいどーぞ!で、できるようになっても時分が困るだけかもしれません。
テレビでアセクシャル(正確にはアロマンティック)を取り扱っていて、少し驚いた。


・・・う~ん、でもアセクシャルとアロマンティックを混同しているところがありました。
自分がアロマンティック・アセクシャルだぞー!!と周囲に言っていない・言う予定もない身としては、これからも上手に受け流していかなければと思っています。
アセクシャルとアロマンティックが混同されて扱われていた件について少しだけ。。
最初に筆者が出会った単語が「アセクシャル」で、その意味しているものは「アロマンティック・アセクシャル」、他者に対して恋愛感情を抱かず、性的にも惹かれないというものでした。
「アセクシャル=アロマンティック・アセクシャル」と表現するのは、日本独特の扱いです。


他者に対して恋愛感情を抱かない、については「アロマンティック」が正しい表現であり「アセクシャル」ではありません。
アセクシャルは「他者に対して性的に惹かれない性的指向」を指す言葉ですからね。